December 11, 2006
チェコ・プラハ?
下の写真は火薬塔と呼ばれているものですが、もともとは旧市街を囲う城壁の門の1つだったそうです。
下の写真はヴルタヴァ川に架かるチェコ軍団橋のたもとに建つ国民劇場。
この劇場は1883年に完成したものですが、チェコ人の独立と文化・伝統を守るという意識の象徴ともされるものです。
チェコがドイツの支配を受けていた当時、チェコ語を話すことは厳しく抑制されていました。
そのため、『チェコ語によるチェコ人のための舞台を』と人々の寄付により、全てをチェコ人の手によって造られたもので、舞台の初演はスメタナのオペラ『リブシェ』であったとのことです。
文化の抑圧、とりわけ言語の抑制というものは、その国の人々の心・人格を認めないに等しく、ドイツが侵攻した先々で行ってきたことは歴史が証明しています。
これはドイツだけのことではありません。
我が日本も朝鮮への侵略において同様のことを行ってきました。
日本の皇民化政策を押し付け、朝鮮語の使用禁止、創氏改名の強制により、朝鮮名を捨てさせ無理やり日本人名を名乗らせるという全く馬鹿げたことを行ってきた歴史が日本にもあることを私達は忘れてはなりません。
下の写真はヴルタヴァ川に架かるチェコ軍団橋のたもとに建つ国民劇場。
この劇場は1883年に完成したものですが、チェコ人の独立と文化・伝統を守るという意識の象徴ともされるものです。
チェコがドイツの支配を受けていた当時、チェコ語を話すことは厳しく抑制されていました。
そのため、『チェコ語によるチェコ人のための舞台を』と人々の寄付により、全てをチェコ人の手によって造られたもので、舞台の初演はスメタナのオペラ『リブシェ』であったとのことです。
文化の抑圧、とりわけ言語の抑制というものは、その国の人々の心・人格を認めないに等しく、ドイツが侵攻した先々で行ってきたことは歴史が証明しています。
これはドイツだけのことではありません。
我が日本も朝鮮への侵略において同様のことを行ってきました。
日本の皇民化政策を押し付け、朝鮮語の使用禁止、創氏改名の強制により、朝鮮名を捨てさせ無理やり日本人名を名乗らせるという全く馬鹿げたことを行ってきた歴史が日本にもあることを私達は忘れてはなりません。
at 18:40│