February 14, 2007

『鹿島』 1

そもそも『鹿島』が何処にあるのか。

前に少しだけ触れて横道に入ってしまったものだから、今一度。

下の地図は広島市から南東に位置する呉市と芸予諸島一帯を表示している。
しかし、小さい島(無人島)は縮尺の関係で表示されていない。
県境表示線で分かるように、写真が切れた辺りに愛媛県の今治や松山が位置する。
54312acb.jpg

鹿島』は、地図中央の下部、愛媛県との境に近い所に位置する南北の距離が約4kmの小島であり、昭和41年(1966年)当時、行政的には広島県に属していたが、島民にとっての足がポンポン船のような船であったため、生活圏としては四国・愛媛県の松山市の方が近いと言えた。

その頃、山陽本線は複線電化を終えてはいたが、呉へ行くための国鉄(JR)は呉線を利用して広島から呉に向かうのと、尾道の西、三原から竹原・仁方を通って呉に行く2つのルートしか無かった。

勿論、汽車であり、鈍行(どんこう)の2等車である。

汽車については前ページで少し触れておいたが、鈍行というのは各駅停車の普通列車のことであり、2等車というのは現在の普通客車のことで、昭和35年(1960年)以前は3等車と呼ばれていた。

現在のJRは新幹線と在来線に2分され、昭和44年(1969年)の等級変更以降、それぞれグリーン車と普通車に区分されているが、シートはいずれもクッションが良く、長距離・長時間乗車でも尻が痛くなることは少ない。

私の記憶に基づいて書けば、初めて広島から山口を訪れた時の客車のシートは4人掛けで背中の部分は板のまま、座る部分は板の上に青色だったか、緑色だったかの厚手の布で覆い、その中に木屑を詰め込んだもので、2人分の座席の板を外せるようになっていた。

鹿島』へ行った時の山陽本線の列車も、呉線の列車もシートの尻の部分は同じであったように思うが、この時は、背中の部分にも厚手の布の薄いクッションが貼り付けてあったように思う。

もう少しだけ横道へ・・・

昔、私が子どもの頃、新幹線が開通する遥か以前に、東京・神戸間を『特急・つばめ』が走り、その後、『特急・はと』も走ってたが、確か所要が8時間程度やったと・・・。

この特急の最後尾の客車が展望車であり、座席の配置も一般客車とは異なる広々とゆったりしたもので、その展望車の最後尾がオープンデッキになっていて、列車が走行中も客はデッキに出て、走る過ぎる景色を眺めることが出来た。

これが1等車で、食堂車も1等のものがあった。

子ども心に何だか夢を見るような気持ちで、大阪駅に停車する特急を見てたことを思い出す。

しかし、街道としての東海道は東京・京都間、国鉄の東海道本線は東京・神戸間、国道1号線は東京・大阪間。

何やケッタイやなあって、子どもの頃に感じてた疑問を思い出してしもうた。

次回はホンマに『鹿島』の話題に戻ることにする。



at 07:44│
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