February 14, 2007

『鹿島』 3

私達が乗った『室尾』行きのバスは午後1時か2時頃に呉市駅を出発し、途中何人かの乗降があったが、殆ど停留所で停まることもなく、始発から終点の『室尾』まで乗車したのは私達3人だけという至って経済効率の悪いバスであった。

室尾』の浜辺にある停留所に着いたのは午後6時近く、日没に近い時刻で、この日の最終バスから降りた客は私達3人と老婆が一人だけ。

1日に3本か4本のバスだから最終と言えるほどのものではないが。

バスのエンジン音が止まってしまえば浜に打ち寄せる波の音が聞こえるだけ。

軒先を寄せ合うように家が何軒か建ってはいるものの、店らしいものも、旅館らしいものも何も無い。

日は刻々と暮れ、心細く不安感でいっぱいだったことを記憶している。

停留所の位置から更に先の方に、下部が白っぽい茶色の肌を剥き出しにされた黒っぽい丘が半島のように突き出ているのが見えていた。

多分、島を造り上げている花崗岩が波の侵食と風化によって肌色のように見えるのだろうと想像しながら、ここからどうして『鹿島』に渡ろうかと悩んでいた。

室尾』の漁師にでも頼んで渡してもらおうかと相談している時に、沖の方からポンポンポンと焼玉エンジンの音が近付いて来ることに気付いた。

しばらくして、10人程度が乗れるくらいの、決して大きくはない舟が浜辺に舳先を乗り上げ、老人が一人降りてきた。

それで、『鹿島』へ渡りたい旨を話しかけると、将に渡りに舟。 この舟は『鹿島』から来て、用事を済ませたら『鹿島』へ帰るのだと。

そんなわけで、老人が用件を済ませて戻ってくるのを待って『鹿島』まで渡してもらうことになり、その上、今夜の宿も夕食も何もかも世話をしてもらうことになった。

それまでの不安なんか雲散霧消、20分ばかりの間、心地よい潮風を受けながら老人との会話に話が弾んだ。

今夜の宿に紹介してくれるというお宅は『上○▲郎』いや『上○▲夫』さんだったか、度忘れしてしまったが、『鹿島』には当時、旅館など無く、夏の間、頼まれて広島女学院の生物クラブの合宿に離れ家を貸している家だということであった。

日も暮れての突然の訪問であったにも拘らず、快く泊めて頂き、食事の提供もしていただいたのである。

明くる日から事前の調査に入り、『鹿島』の4つの集落を回って調べたところ、調査対象としての条件に合致することが明確になったので、夏の調査の時点で再度の宿舎提供を依頼した。

これが私達の『鹿島』との出会いであった。

ところで、先のポンポン船の老人、彼は『鹿島』の中学生が『室尾中学校』へ通うために、朝と夕に通学船を運行する係りなのだとか。

この日は、たまたま中学生を『鹿島』に連れ帰った後、用事が出来たので『室尾』までやって来たのだとか。 私達にとっては大助かりであった。

at 16:38│
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