March 12, 2007

飯塚・嘉穂劇場

長崎街道について書いていたので話題が小倉へ飛んでしまったが、飯塚と炭鉱に関わって忘れられないモノがあった。

嘉穂劇場である。
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『嘉穂劇場』は大正11年(1922年)に『中座』として開場した古い劇場である。

しかし、昭和3年(1928年)に全焼、再建後の昭和5年(1930年)には台風により倒壊、翌6年(1931年)に落成して現在に至るが、平成15年(2003年)には九州地方を襲った豪雨により甚大なる被害を受け、その存続が危ぶまれたが、修復作業を終え、全国座長大会を始めとする数多くの興行により立ち直り、平成18年(2005年)には国の登録有形文化財になっている。

玄関は大きいガラス張りの戸で、興行演目や出演者などを描いたポスターが貼られ、懐かしい昔の演劇場そのものの風情である。
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写真でも分かる通り木造2階建ての入母屋造りで、客席は1階と2階に桝席と桟敷席があり、750人~1200人を収容できる大きい劇場である。
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石炭産業が華やかで筑豊地方が活気で溢れていた大正から戦前の間、飯塚には『中座(嘉穂劇場)』のほか、『栄座』『第二大吉座』『新世界座』『交友座』『真富座』があり、田川には7軒、嘉穂郡には6軒も芝居小屋があったらしい。(近大九州・桑原調査、S48)
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上の写真は舞台より客席を眺めたものであるが、本花道と仮花道の2本があり、回り舞台を擁する堂々たる劇場である。

回り舞台は、この舞台の下、つまり『奈落』において、下の写真の右端手前に上から下へ延びる丸太(もっこ棒)を人が肩で円周に沿って押して回すのである。

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何人がかりで押し回すのか聞き漏らしたが、丸太(もっこ棒)が何本もあったし、直径15.8mの円形舞台を回すのだから、少なくとも数人がかりになるのだろうと推測できる。

この嘉穂劇場を存続させるということでは、興行を通して多くの芸能人がこの舞台に上がっている。

演劇関係では九州を本拠地とする座以外に、18代目・中村勘三郎、勘九郎らの歌舞伎一門、茂山千之丞らの狂言一門、梅沢武生劇団と梅沢富美男、落語では六代目・柳家小さんら、劇団民芸や俳優では長門裕之、南田洋子、中村玉緒、津川雅彦、西田敏彦ら、歌手では森進一、水前寺清子、五木ひろし、八代亜紀、細川たかし、橋・舟木・西郷の御三家など、その他、大林宣彦、田原総一郎、玉置 宏など、著名な者達が名前を連ねている。


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