March 25, 2007

ソウル滞在 5 板門店

朝鮮半島は、古来幾つかの国に分かれたり統一されたりの歴史を歩んできた。

人類の歴史区分では、人類が類人猿と文化的に分離区分できる基準を道具使用の可否に置いている。

簡単に言ってしまうと道具、つまり石器が用いられていたかどうかが区分の目安になるということである。

最古の石器を用いた時代を旧石器時代と呼んでいるが、この旧石器時代は前期(450万年~10万年前)、中期(10万年~4万年前)、後期(4万年~1万年前)と区分している。

朝鮮半島の北緯38度線付近の臨津江(イムジンガン)やその他の地域で旧石器時代前期に使用されたと考えられるチョッパーなどの打製石器が出土していることから、朝鮮半島には相当古い時代から人類がいたと想像できる。

私達がよく知る『高句麗』『新羅』『百済』といった国が朝鮮半島を分割統治していたのが三国時代で600年代以前である。

やがて『新羅』が朝鮮統一を果たすが、そこには陸続きの中国『唐』の影がちらついていた。

10世紀から14世紀頃まで『高麗』が朝鮮の統一国家となるが、1392年に『李朝』として新しい国家体制を敷くこととなる。

朝鮮半島の政治史の上では最も安定した時代であり、凡そ500年ばかり『李王朝』が続いた。

1400年前半には世宗(セジョン)王によってハングル文字が創られもした時代であった。

しかし、1592年の文禄の役、1597年の慶長の役と、豊臣秀吉の朝鮮侵略を受け、1627年、1636年には中国(清)の侵略を受けた。

もっとも1607年から1811年まで合計12回の朝鮮通信使の来日を受けるなど中国、オランダと共に我が国の鎖国時代にあって良好な時期もあった。

しかし、1866年のシャーマン号(アメリカ船籍)を皮切りに、フランス艦隊、アメリカ艦隊の執拗な侵略を受け、1876年には日本の軍艦・雲掲丸による意図的な侵略・武力脅迫行為によって『江華条約』(大日本国大朝鮮国修好条規)という朝鮮にとってははなはだ不平等な条約を締結させられてしまった。

こうした日本の行為のバックでは米英仏の3国も暗黙裡に了解するという弱肉強食の考え方が当時の世界にあった。

ちなみに、この『江華条約』は、日本がペリー率いるアメリカ艦隊の武力脅迫とも言える状況下で結ばされた『日米修好通商条約』と同様、いや、無関税貿易条項に至っては、一層ひどい差別条約であった。

これ以後、日本は政治経済面からの侵略を進め、日清、日露の戦争を経て、朝鮮を完全に植民地化し、武断政治によって朝鮮人の日本人化(同化・皇民化)を強制していった。

1910年8月22日の日本による朝鮮の完全併合から1945年8月15日までの35年間、朝鮮人は自分の国を取られ、言葉だけではなく、朝鮮に関わるあらゆることを無くしてしまったのである。

1945年8月15日、『ポツダム宣言』の受諾で太平洋戦争が終結。

朝鮮人民は解放され、朝鮮国内では建国独立の準備が進められていた。

しかし、第二次世界大戦が終了して、アメリカとソ連の間では戦後の世界支配を巡って微妙な関係になりつつあった。

トルーマン・ドクトリンやマーシャル・プランなど、アメリカはソ連の封じ込めを狙って、1945年9月7日にアメリカ軍は朝鮮に進駐。

10月10日にはアメリカ軍政長官による朝鮮の独立は認めないというアーノルド声明が発表され、以後アメリカをバックとする大韓民国と金日成率いる朝鮮人民軍の争いという国内紛争の勃発となった。

細かな事実を列挙する必要があるのだが、1950年6月25日、38度線において韓国軍と朝鮮人民軍が戦争状態に入ったのである。

韓国軍と国連軍(実質的には殆どアメリカ軍)の連合に対して、朝鮮人民軍と中国軍連合による戦争が、1953年7月27日の『休戦協定調印』で一旦停戦(休戦)したが、この戦争を『朝鮮戦争』と呼んでいる。

この『休戦協定調印』が行われたのが『板門店』なのである。






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