April 18, 2007

追 悼

長崎市長を務めてきた伊藤一長氏が暴漢の銃撃により亡くなったことを知り、驚愕すると同時に暴力でもって事を制するという全く馬鹿げた理不尽なる行為が行われたことに強い憤りを感じている。

バージニア工科大学で多数の学生たちが射殺されたという報道を耳にして、日を空けずに伊藤氏の悲報に接した。

アメリカは銃規制が甘い社会であるということが事件のバックグラウンドにあると報道各社が指摘していた。

日本はどうか。

日本は銃刀法により、銃を保持すること自体が規制されている筈である。

しかるに事件は起きた。

犯人は暴力団幹部であるという。

暴力団に対する規正法も日本にはある。

しかし、事件は起きた。

銃の規制も暴力団の規制も、その法の執行は警察が所管するところである。

何よりも、日本は個人の生命・思想・財産などを守り尊重する日本国憲法に保障された民主主義国家である。

その民主主義の根幹を揺るがす悲しむべき事件が起きた背景には、勿論、暴力団とそれを構成する組織員らの反民主主義的思想が存在することは言うを待たない。

暴力団が右翼政治結社を標榜し、或いは個々の組織員が憲法に保障された思想の自由や結社の自由を隠れ蓑にして行っている反社会的行為の数々は、これまでにもマスコミで多く取り上げてこられた。

しかし、同時に法治国家を維持すべき責任のある警察が、暴力団や銃に対する規制を厳格に行い得なかったということも遠因として指摘せねばなるまい。

民主国家にあって、考え方が違うからとか自分の意に染まないから『問答無用』とばかりに暴力で封殺することなど、これこそ『問答無用』の愚行である。

伊藤氏を銃撃した犯人は死に相当する罪を負うべきことは当然であるが、この犯人と、犯人が属していた裏社会の思想と行動に対し、警察も我々の社会全体も厳しい目をもって対処していかねばならないものと考える。

伊藤氏の不慮の死に対し、心底より哀悼の意を捧げる。





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