April 18, 2007

韓国 ソウル 貞洞劇場

今回のソウル滞在中、楽しみの一つにしていたのが『パンソリ』の鑑賞であった。

パンソリ』というのはリズムを取りつつ、その場の雰囲気を太鼓を叩きながら表現する“コス”と、セリフ・物語を身振りと共に語り歌い上げる“ソリクン”の二人が呼吸を合わせて演じるもので、やがて観客達もそれに同調し、演じる者と観客が一体化していくという朝鮮民衆芸能の一つである。

下は“コス 写真は貞洞劇場の公演パンフレットより
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私が初めて『パンソリ』に接したのは1993年だったか、もう少し前だったか、友人の女性に連れられて韓国映画を観に行った時であった。

確か『風の丘を越えて・西便制(ソピョンジェ)』というテーマの作品であったと思う。

原作を文庫本でも読ませてもらったが、映画によって音と映像が強く印象付けられていたのでイメージしやすく、『パンソリ』というものが強烈なものとして心に残ったのである。

朝鮮の伝統芸能としては『パンソリ』のほか、宮廷音楽としての『国楽』、農業行事に関わる“農楽”や巫女たちのシナウィと呼ばれる“巫楽”と民謡としての“散調”などの『俗楽』、それに風刺劇としての『仮面劇』(タルチュム)などがある。

パンソリ』には、昔は12の話があったそうだが、現在は『春香歌(チュニャンガ)』、『沈清歌(シムチョンガ)』、『水宮歌(スグンガ)』、『興夫歌(フンブガ)』、『赤壁歌(ジョクビョクガ)』の5大パンソリが演じられており、ユネスコの世界文化遺産にも指定されている。

いずれも朝鮮民話としてよく知られているものである。

下の写真は“ソリクン  写真は貞洞劇場の公演パンフレットより
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沈清歌(シムチョンガ)』を語り歌い上げる

私が鑑賞した時の演目は『沈清歌(シムチョンガ)』であった。

沈清歌(シムチョンガ)』の“沈清(シムチョン)”というのは盲目の父親と二人で暮らす親孝行な娘の名前である。

お米300袋をお供えすれば目が見えるようになると僧侶に言われた父親はお供えすることを約束してしまうのだが、貧乏な生活をしている沈清(シムチョン)の家で300袋ものお米を工面できるはずもなかった。

そのことを知ることとなった沈清(シムチョン)は、船の「いけにえ」となることを知った上で船頭達に身を売る決断をし、父親の目が見えるようになることを願いつつ父親と別れて旅立つのである。

沈清(シムチョン)の行為から娘の想いを知った父親は胸が張り裂けんばかりの悲しみのどん底に沈みこんでしまう。

ひどい嵐の海で沈清(シムチョン)は船頭たちとの約束通り海に身を投げる。

しかし、天の助けによって沈清(シムチョン)は人間世界の后となり、王の協力を得て父親と再会する。

そして父親の目も見えるようになり、親子共々幸せに暮らしたという筋書きなのだが、これを太鼓の音と共に語り、歌い、時には叫び、身振りを交えて演じるのである。
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公演は全て韓国語で行われた。

舞台のソデでは英語や日本語の説明が電子文字で表示はされるのだが、セリフと一致するものではないし、演者の表情や身振りと同時に文字盤を見ることは出来ない。

私は物語の筋書きを充分に知っていたこともあって、演者が韓国語で演じていても彼女の身振りや声の大小、強弱、高低、うなり、ひねり等、表現の違いから今何を語っているのか、ひしひしと感じるものがあり、いつの間にか舞台で演じる彼女と同じ場に立っていたようだ。

彼女の演技の中でボロボロ涙がこぼれて・・・・・

単に私の涙腺がゆるんできたのか、彼女の演技が私を泣かせたのか。
むむむむむむ

舞台が終わった沈清(シムチョン)役の女優さんと記念撮影

この娘が私を泣かせた・・・泣き顔は見せられないので悪しからず

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下の貞洞劇場では『パンソリ』の他にも宮廷音楽としての『国楽』、農業行事に関わる“農楽”や巫女たちのシナウィと呼ばれる“巫楽”と民謡としての“散調”などの『俗楽』も演じている。

いずれも素晴らしいものであった。
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