November 26, 2007
イタリア旅行 ? ヴェネツィア 3
サン・ザッカリーアの船着場に上陸し、スキアヴォーニ海岸通りを西へ少し歩いたところに下の写真のような騎馬銅像がある。
実は雨がひどくなったので確かめなかったのだが、その雄姿はヴィットリオ・エマヌエーレ2世ではないかと思ったのだ。
彼の名前はミラノのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアとして名前を記憶しているし、ドゥオモ広場には彼の騎馬像があった。
下の写真はミラノ・ドゥオモ広場のヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像である。
下の写真はヴェローナのブラ広場のヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像である。
それぞれ少しずつ異なるが、ミラノとヴェローナの2つの騎馬像を見てきているので、最初のヴェネツィアの騎馬像もヴィットリオ・エマヌエーレ2世の乗馬姿であると思うのだが、これの台座を見てこなかったために確証を持てないでいるのである。
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II di Savoia)は1849年にサルデーニャ王国における最後の国王となり、フランスのナポレオン3世の支持を受けてオーストリア帝国を退けイタリア統一に成功した。
1870年には教皇領を併合し、都をローマに定めイタリア統一を成し遂げたイタリア王国の初代国王である。
そうした経歴から各地に顕彰銅像があっても不思議では無く、ヴェネツィアの騎馬像をヴィットリオ・エマヌエーレ2世と推測するのもあながち懸け離れた推量であるとも言えないとは思っているのだが、何にしても『後悔先に立たず』、大事な俚諺を忘れていた。
実は雨がひどくなったので確かめなかったのだが、その雄姿はヴィットリオ・エマヌエーレ2世ではないかと思ったのだ。
彼の名前はミラノのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアとして名前を記憶しているし、ドゥオモ広場には彼の騎馬像があった。
下の写真はミラノ・ドゥオモ広場のヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像である。
下の写真はヴェローナのブラ広場のヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像である。
それぞれ少しずつ異なるが、ミラノとヴェローナの2つの騎馬像を見てきているので、最初のヴェネツィアの騎馬像もヴィットリオ・エマヌエーレ2世の乗馬姿であると思うのだが、これの台座を見てこなかったために確証を持てないでいるのである。
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II di Savoia)は1849年にサルデーニャ王国における最後の国王となり、フランスのナポレオン3世の支持を受けてオーストリア帝国を退けイタリア統一に成功した。
1870年には教皇領を併合し、都をローマに定めイタリア統一を成し遂げたイタリア王国の初代国王である。
そうした経歴から各地に顕彰銅像があっても不思議では無く、ヴェネツィアの騎馬像をヴィットリオ・エマヌエーレ2世と推測するのもあながち懸け離れた推量であるとも言えないとは思っているのだが、何にしても『後悔先に立たず』、大事な俚諺を忘れていた。
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