November 27, 2007
イタリア旅行 ? ヴェネツィア 5
サン・マルコ寺院の正面に向って『凹』の字型にヴェネツィア行政長官府の建物が建ち、それらの建物に囲まれた石畳敷きの場所がサン・マルコ広場である。
下の写真右側の建物が行政長官府新館の建物で、これと向かい合う位置に行政長官府旧館がある。
正面がサン・マルコ寺院で右手の塔が鐘楼、写真では写っていないが左手に時計塔がある。
6枚目の写真でサン・マルコ広場の夜景を掲載したが行政長官府の新旧の建物は大理石が用いられ、広場に面した1階は大理石の柱が建ち並ぶアーケードになっており、多くの商店が連なっている。
ヴェネツィアン・グラスの店をはじめ、宝石、衣類、土産物、バール、カフェの店が並び、建物裏側の街路(横丁)にもバール、リストランテなどが小さな店舗を構えている。
この回廊のアーケードには創業1720年というカフェ・フローリアン(Caffe Florian)があり、店の前では5人編成の楽団がワルツなどクラシカルな曲を奏で、店内の狭い長椅子はコーヒーを飲む観光客で詰まり回廊も人々で溢れかえっていた。
1720年頃の日本といえば、将軍・徳川吉宗や江戸町奉行・大岡越前守忠相の時代であるから、話の種程度にカフェに入っても良かったのだが、混雑する店に並んで待って入るなどということが私は嫌いなので脇見だけで通り過ぎることにした。
ヴェネツィアでは何と言ってもゴンドラに乗ってみなくてはと、家内とも意見が一致していたので楽しみに乗り場に向かった。
ゴンドラへの乗り場は下の写真のような狭い運河の一角にあった。
帰ってきたゴンドラの船頭の歌声が狭い運河に建ち並ぶ建物の谷間に反響して耳に心地よかった。
私達が乗ったゴンドラの船頭は、若い、いかにもイタリアの兄ちゃんといった感じであり、建物の谷間を多少左右に揺れながらも静かにスイスーイと進んでいった。
ゴンドラの後部甲板?上に船頭、船の真ん中の部分の座席に6人は乗れるのだろうか、私達はアベックで2組の4人が乗っていた。
船頭は立ったままでゴンドラの右舷に固定した櫓を漕ぐ。
日本の田舟や渡し舟などに見られる棹で船を進めるのではなく、一本の櫓で漕ぎ進める方法なので、櫓を漕ぐたびに船首が左右に振れて横に揺れるのではないかと思っていたのだが、ゴンドラは前へ前へグイグイと推し進む感じで動くのである。
きっと櫓にワケがあるのだろうが、これについて私は知らないがゴンドラに乗ってみてこそ違いも分かることである。
時に水上タクシーと行き交ったり、ゴンドラ同士が行き交ったりするが、船頭達の操船技術は大したもので衝突することもなく上手に船を進めていた。
ゴンドラの周遊コースは短時間コースも長い時間のコースもほとんど裏道のような建物に挟まれた細い運河を進むのだが、いずれの周遊コースであっても必ず一度は通るのが下の写真の大運河(Canal Grande)である。
上の写真の橋は大運河に架かるリアルト橋(Ponte di Rialto)である。
大運河にはスカルツィ橋(Ponte Scalzi)、リアルト橋、アカデミア橋(Ponte Accademia)の3つの橋が架かっているだけで他は渡し舟が対岸とを結んでいる。
元々は木製の橋であったが、16世紀末に現在の大理石製の橋に架け変えられ、3つの橋の中では最も大きくヴェネツィアの橋を代表するものである。
裏通りのような小さな運河にもそれぞれの町区画を結ぶ橋が架けられているが、下の写真のように、それらは人々が歩いて渡るだけの小さなものである。
ゴンドラでの水の都巡りも終点に近付いてきたが、私達の船頭は歌を聞かせてはくれなかった。
別に船頭の歌を聞くためにゴンドラに乗ったのではないが、昔から水の都ヴェニスと言えばゴンドラと船頭の歌をイメージしていたものだけに、これは拍子抜けのことであった。
加えて言えば、ゴンドラの下船場に篭が置いてあり、船頭へのチップを入れていけという次第。
チップとは心付け。
つまり余分な仕事をしてもらったり、相手の親切さなどに感謝する気持ちを金銭に換算して手渡すもの・・・と私は理解しているが、ゴンドラ乗船料は支払っており、この場合の乗船料とはゴンドラに乗って所定のコースを巡って下船するまでの料金である。
ゴンドラ乗船中、特別に頼んだ用事も無いのにチップの要求とは・・・
2ユーロ程度のことでゴチャゴチャ言いたくはないが、期待していた歌のひとつも聴けず、私達の乗ったゴンドラに関しては40点で不可。
観光客相手でスレてきているのではないだろうか。
夜の闇が迫り、雨上がりのサン・マルコ広場はアーケードの光で照らされ、寺院の装飾が煌きを増していた。
しかし随分寒く、温かいものでもと裏町のバール(Bar)に入ってエスプレッソを飲んだ。
この店はハムやソーセージのサンドウィッチを得意とするのか、バーの上のショーケースには幾種類かのものが並べられていた。
耳を落とした大きいサイズの三角形の食パンにタップリのハムや野菜を挟んだサンドウィッチが2組、1.5ユーロだと。
1ユーロが160円として240円。日本のコンビニよりも遥かに安い内容のものであったが、夕食にサンドウィッチでは・・・ムムム
今夜のホテルはサン・ザッカリーアの船着場からジュデッカ島に渡らねばならない。
ヴェネツィアの夜を楽しむならば本島のホテルが安くて良いであろうし何より数が多いが、のんびり寛ぐならばリド島のウェスティンだとかジュデッカ島のヒルトンが良いと思う。
下の写真右側の建物が行政長官府新館の建物で、これと向かい合う位置に行政長官府旧館がある。
正面がサン・マルコ寺院で右手の塔が鐘楼、写真では写っていないが左手に時計塔がある。
6枚目の写真でサン・マルコ広場の夜景を掲載したが行政長官府の新旧の建物は大理石が用いられ、広場に面した1階は大理石の柱が建ち並ぶアーケードになっており、多くの商店が連なっている。
ヴェネツィアン・グラスの店をはじめ、宝石、衣類、土産物、バール、カフェの店が並び、建物裏側の街路(横丁)にもバール、リストランテなどが小さな店舗を構えている。
この回廊のアーケードには創業1720年というカフェ・フローリアン(Caffe Florian)があり、店の前では5人編成の楽団がワルツなどクラシカルな曲を奏で、店内の狭い長椅子はコーヒーを飲む観光客で詰まり回廊も人々で溢れかえっていた。
1720年頃の日本といえば、将軍・徳川吉宗や江戸町奉行・大岡越前守忠相の時代であるから、話の種程度にカフェに入っても良かったのだが、混雑する店に並んで待って入るなどということが私は嫌いなので脇見だけで通り過ぎることにした。
ヴェネツィアでは何と言ってもゴンドラに乗ってみなくてはと、家内とも意見が一致していたので楽しみに乗り場に向かった。
ゴンドラへの乗り場は下の写真のような狭い運河の一角にあった。
帰ってきたゴンドラの船頭の歌声が狭い運河に建ち並ぶ建物の谷間に反響して耳に心地よかった。
私達が乗ったゴンドラの船頭は、若い、いかにもイタリアの兄ちゃんといった感じであり、建物の谷間を多少左右に揺れながらも静かにスイスーイと進んでいった。
ゴンドラの後部甲板?上に船頭、船の真ん中の部分の座席に6人は乗れるのだろうか、私達はアベックで2組の4人が乗っていた。
船頭は立ったままでゴンドラの右舷に固定した櫓を漕ぐ。
日本の田舟や渡し舟などに見られる棹で船を進めるのではなく、一本の櫓で漕ぎ進める方法なので、櫓を漕ぐたびに船首が左右に振れて横に揺れるのではないかと思っていたのだが、ゴンドラは前へ前へグイグイと推し進む感じで動くのである。
きっと櫓にワケがあるのだろうが、これについて私は知らないがゴンドラに乗ってみてこそ違いも分かることである。
時に水上タクシーと行き交ったり、ゴンドラ同士が行き交ったりするが、船頭達の操船技術は大したもので衝突することもなく上手に船を進めていた。
ゴンドラの周遊コースは短時間コースも長い時間のコースもほとんど裏道のような建物に挟まれた細い運河を進むのだが、いずれの周遊コースであっても必ず一度は通るのが下の写真の大運河(Canal Grande)である。
上の写真の橋は大運河に架かるリアルト橋(Ponte di Rialto)である。
大運河にはスカルツィ橋(Ponte Scalzi)、リアルト橋、アカデミア橋(Ponte Accademia)の3つの橋が架かっているだけで他は渡し舟が対岸とを結んでいる。
元々は木製の橋であったが、16世紀末に現在の大理石製の橋に架け変えられ、3つの橋の中では最も大きくヴェネツィアの橋を代表するものである。
裏通りのような小さな運河にもそれぞれの町区画を結ぶ橋が架けられているが、下の写真のように、それらは人々が歩いて渡るだけの小さなものである。
ゴンドラでの水の都巡りも終点に近付いてきたが、私達の船頭は歌を聞かせてはくれなかった。
別に船頭の歌を聞くためにゴンドラに乗ったのではないが、昔から水の都ヴェニスと言えばゴンドラと船頭の歌をイメージしていたものだけに、これは拍子抜けのことであった。
加えて言えば、ゴンドラの下船場に篭が置いてあり、船頭へのチップを入れていけという次第。
チップとは心付け。
つまり余分な仕事をしてもらったり、相手の親切さなどに感謝する気持ちを金銭に換算して手渡すもの・・・と私は理解しているが、ゴンドラ乗船料は支払っており、この場合の乗船料とはゴンドラに乗って所定のコースを巡って下船するまでの料金である。
ゴンドラ乗船中、特別に頼んだ用事も無いのにチップの要求とは・・・
2ユーロ程度のことでゴチャゴチャ言いたくはないが、期待していた歌のひとつも聴けず、私達の乗ったゴンドラに関しては40点で不可。
観光客相手でスレてきているのではないだろうか。
夜の闇が迫り、雨上がりのサン・マルコ広場はアーケードの光で照らされ、寺院の装飾が煌きを増していた。
しかし随分寒く、温かいものでもと裏町のバール(Bar)に入ってエスプレッソを飲んだ。
この店はハムやソーセージのサンドウィッチを得意とするのか、バーの上のショーケースには幾種類かのものが並べられていた。
耳を落とした大きいサイズの三角形の食パンにタップリのハムや野菜を挟んだサンドウィッチが2組、1.5ユーロだと。
1ユーロが160円として240円。日本のコンビニよりも遥かに安い内容のものであったが、夕食にサンドウィッチでは・・・ムムム
今夜のホテルはサン・ザッカリーアの船着場からジュデッカ島に渡らねばならない。
ヴェネツィアの夜を楽しむならば本島のホテルが安くて良いであろうし何より数が多いが、のんびり寛ぐならばリド島のウェスティンだとかジュデッカ島のヒルトンが良いと思う。
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