February 22, 2008

ひろしま美術館

私が初めて広島を訪れたのは昭和33年か32年であったと思う。

原爆資料館の建物があり、平和大橋も架かっていたが自動車の姿は少なく道路はガラ空きで平和公園は木々の緑よりも黄土色の土の色の方が勝っていた。

原爆被災後、50年は木も茂らないだろうと言われていた広島を訪れ、まだ小さい若木ばかりではあったが緑の葉を認めて驚いた記憶がある。

ひろしま美術館』が出来たのは昭和53年(1978年)のことであるという。

広島銀行の創立100周年記念事業として設立されたらしいが、企業の社会還元の姿としては評価できる活動である。

もっとも、長年にわたって自民党という特定政党に政治資金を提供し続けている銀行協会の一員として広島銀行は粕のカスでしかないが。

一方、赤字財政解消を掲げ大阪府の文化施設を切り捨てようと大ナタを振りかざしている橋下知事だが、何でもかでもゼロベース見直しが正しいわけでもあるまいに。

日本の近代歴史において、曲がりなりにも教育・文化レベルの維持・発展に寄与してきた公けの行政施策を自ら切り捨てるという発想は果たして府民に目を向けたものと言えるのかどうか。

教育や文化というものは金儲けを基準にしてみるべきものではないはずだが、つまり儲からないで赤字、だから切り捨てるという単純なる発想は一面合理的ではあるが重さを物差しで計ろうというに似ているように思う。

それでなくとも文化醸成度の低い大阪府・・・ツマラン話は置いて『ひろしま美術館』の所蔵品に戻そう。

下は、オーギュスト・ルノワール 『パリスの審判
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           下は、エドゥワール・マネ 『灰色の羽根帽子の婦人
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下は、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 『アリスティド・ブリュアン
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下は、モーリス・ド・ヴラマンク 『木のある風景
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下は、レオナール・フジタ 『十字架降下

これは藤田嗣治の『受胎告知』、『三王礼拝』、『十字架降下』の祭壇画3連作の1枚である。
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上の写真は、いずれも『HIROSHIMA MUSEUM OF ART』(ひろしま美術館2002)より転写したものである。

今回は浅田 忠、岸田劉生など、明治期以後の日本人画家の作品を見ることが出来なかったが、ヨーロッパ絵画の名だたる画家たちの作品を鑑賞できて満足している。

リーガロイヤル広島の直ぐ前が『ひろしま美術館』なので、朝一番の空いた時間に散歩がてら、ゆっくり、のんびり、じっくりと時間をかけて眺めることができるので、これはもう最高の贅沢と言える。



at 11:50│
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