April 09, 2008

姫路城 桜満開の時期に

これまで日本各地の城郭を巡ってきた。

北は北海道・松前城(福山城)に五稜郭、南は沖縄・首里城。

城郭に詳しいわけではないが、松前城は日本の城郭として最後の築城で、石垣や礎石などの遺構が残っているが天守閣は昭和30年代に再建されたものらしい。

函館の五稜郭は西洋式で石垣のみ残っている。

沖縄の首里城は日本の伝統的な城郭とは趣きを異にしている。

城というものは戦国時代以降領主の住居という意味もあるが、もともと侵略に対する防御のための軍事施設であり、日本の場合、柵、濠、土塁に物見櫓、時代が下って幅広で深い堀、高い石垣に幾重もの塀、迷路のような道すじとそれを阻む幾つもの門構え、更には物見を兼ねた頑丈な櫓に天守などで構成されている。

しかし、自然災害、火災、太平洋戦争などによって城郭遺構として残っていたり、一部再建されたものはあるが築城完成して以後、完全な姿形で残っている城郭は無い。

そのような中にあって、江戸初期に造営された『姫路城』がかなりの部分において元の姿形を伝え残していることは稀有なことであり、その完成した日本の城郭建造物として国宝の指定を受け、ユネスコの世界文化遺産に登録されていることは至極もっともなことであると言える。
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写真は内堀に架かる桜門橋と大手門、中央遠くに大天守を望む。

城を訪れたのは4月8日、昨日のことである。

大手門を入ったところに広がる『三の丸』広場を囲むように植わる桜は満開。

大天守を構える本丸、手前の二の丸、西側の西の丸と、いずれの桜も見事な咲きようであった。
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上の写真は西の丸の隅櫓の下手より見た大天守と乾櫓(左端)と小天守、それに白く横長の渡り櫓が見える。

姫路城は1333年に当地の守護・赤松則村が挙兵し、砦を築いたことに始まるとされている。

足利高氏(尊氏)が後醍醐天皇に応じ丹波で挙兵したのもこの年のことで、これら守護や土豪らの蜂起によって鎌倉(北条)幕府が滅び建武の新政が始まった。

※(赤松則村は元弘の乱で六波羅を攻めたが、後、足利尊氏に属し、新田義貞の追撃を阻止)

1581年に西国攻めの拠点として、羽柴秀吉が黒田官兵衛孝高の勧めで3層の天守閣を完成。

後、羽柴秀長、木下家定と続き、関が原の合戦後、徳川家康の娘婿である池田輝政が入封(52万石)して1601年から8年の歳月を要し、城域を拡大して5層7階の天守閣を築いた。

この後、池田家は3代続くが、その後に入封した本多忠政(15万石)が長男である忠刻と再嫁した2代将軍・徳川秀忠の長女『千姫』のために西の丸を整備し、現在の姫路城の全容を整えたのが1618年のこと。

以後、松平氏、榊原氏、酒井氏と変わって明治維新を迎えた。
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写真の白い部分が化粧櫓と渡り櫓のある西の丸で桜が満開の状態である。

秀忠の長女・千姫は僅か7歳で豊臣秀頼に嫁ぎ、大阪落城後に忠刻に再嫁して姫路城西の丸で穏やかな日々を過ごしたとされている。
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写真は西の丸隅櫓と渡り櫓であるが、石垣に枝を落とす桜花が見事であった。

丁度、夜間の観桜会が催されている期間中であり、城内一帯の桜の枝の下はブルーシートが広く敷かれ、花見の場所を確保する人たちが座り込んでいたり、既に宴を始めているグループもあった。

これが新入社員の花見担当かと思える黒いスーツ姿の若い男たち7名ばかりのグループも見かけたが、大きいクーラーボックスを3ケースに工事現場用の照明ライト2基、それに大型発電機まで準備しておった。

以前、大阪城で見かけた花見会は僅かな照明のもとでの暗がり花見会であったが、このグループは大層な花見会になるのであろう。

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上の写真は姫路駅から城へ通ずる大手前通りの歩道に据えられた彫刻作品の一つであるが、『裸婦坐像本郷 新氏の作品である。

自動車が走る大手前通りの両側の歩道に、このような素敵な彫刻作品が据えられているのだが、なぜか観光パンフレットでは紹介されていなかった。

(私が気付かなかっただけかもしれないが・・・)

私ならこうした文化紹介活動にはもっと力を入れるのだが。

大手門の所には『国宝・姫路城』の古い石標が建てられているのだが、その直ぐ近くに大きくて立派な黒御影石の『国宝・姫路城』の石碑が建てられていた。

別に2つも必要無いのにと思ったが、『国宝・姫路城』と並んで姫路市長○○と個人名が彫られてあった。

明らかな売名行為である。

個人の寄付行為であっても寄贈者の名前は背面に小さく彫るとか、本来、純然とした寄付行為の場合は名前を明らかにしないものである。

どうも日本人というのは名誉欲というか権威・権力主義を好むと言うか、何とも嘆かわしいものである。

文化財に落書きをするツマラン輩がいるが、国宝であり世界文化遺産に登録された姫路城であっても石碑に名前を彫ったものなら構わないと言うのだろうか。

私には落書き行為とカワランように思えた。

素晴らしい城郭建築を見学し、見事な桜を愛で、本郷氏らの素敵な彫刻に出会い、姫路の町の素晴らしさを感じたのだが、この市長の個人名の入った石碑を見て情けない思いを感じたのは残念なことであった。


at 12:00│
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