May 11, 2008

5月第2日曜日・【母の日】に思う

【母の日】の起源については昨年だったか少し触れておいた。

今日が今年の【母の日】である。

我が国においても今や完全に定着した感のある【母の日】であるが、母への感謝というものが特定の日に限ったものでないことは言わずもがなのこと。

『ものごころ』が付いて自他の存在を明瞭に区別することが可能となり、『感謝する』という感情を持ち合わせるようになって以後、母への感謝の気持ちは人として生涯持ち続ける(特異な場合を除き)ものである。

過去の時代にあって社会構造や経済的理由、或いは望みもしない戦争という特殊な状況下において死別、生別という母子間の別れがあった。

こうした別れを例外的にと記したいのだが、母と子の別れが病気などの不可避的な理由によって起きるのではなく、意図的に行われる‘事件’が現代社会において猶数多く発生していることに心痛む思いがする。

母が子を殺し、子が母を殺す、或いは母子ともに心中。

こうしたことばかりでは無い。生命の尊厳を冒涜する行為が余りにも多い。

「歴史は繰り返す」と言うが、人々は歴史から一体何を学んでいるのだろうか。

人類の歴史がただ単に過ぎ去った時間であるというだけのことならば、何も学ぶ必要など無いのである。

過去の過ちを再び繰り返すことなく、世界平和と人類の幸せな生活を確立、保障するため歴史上の様々な教訓を学び取ることが重要であるはずなのだが・・・

横道へそれてしまったが、人間にとって『節』をつけるということは物事を深く極め高める上で大きな役割を果たすことになるものと考える。

母の愛に感謝する気持ちは生涯持ち続けるものであろうが、『母の日』を設けることで一層心を込め思いを強固で確かなものにすることになるのである。

古来、日本人は感情を表情や仕草に表すことが得意な民族では無かった。

むしろ、喜怒哀楽を他人の前で見せないことを美徳とさえされてきた。

私は、それはそれで良いと思う。

が、欧米の人たちは、いささか大げさと思える(私の主観として)ほどに表現することが多いように思う。

『母の日』に合わせて帰国したわけではないが、私の心のどこかにそうした思いが生じていたのかもしれない。
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慶州でも安東でも大邱でも上の写真のような露店が並び、カーネーションのアレンジメントフラワーの鉢が売られ、20代から40代ぐらいの人たちが次々と買っていく姿を見かけることができた。

同じ東アジアのモンゴロイドでありながら、異なる文化史を有する日本と韓国・中国とでは感情の表現の仕様にも相違する面がある。

彼らの喜怒哀楽の表現は日本人に比べて誇張・大げさとまで言わないまでも大変率直で身振り手振りを混ぜて大仰に見えるものである。

日本ではかなり薄れてきた儒教的倫理観(孔子・論語)が現代の韓国人たちの日常生活の中でも色濃く受け継がれており、長幼の序、忠孝、また祖先崇敬など、若い世代においてもそれらを認めることができる。

民主社会において、物事に対する好き嫌いの判断は個々の判断に委ねられて良いものと考えるが、儒教的道徳観というものは大筋において個々人の善悪の価値判断の対象外であろうと私は思っている。

大筋においてと書いたように、我が国の歴史において儒教的倫理観が権力によって民衆統治に利用されてきた側面を考慮すれば全面的無批判的に賛同するわけにはいかないが、若年者が年長者に敬意をはらい、親に孝行し、祖先を崇拝するといった事柄など、人として生きて行く上で身につけておくべき大切な規範であると私は考えている。
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上の写真は、慶州で私が朝食をとるために入った店で撮影したものである。

祖父と祖母が経営する店に彼らの孫になる2人の子どもを連れてきた母親との5人が写っているが、孫娘がカーネーションのアレンジメントフラワーを祖母にプレゼントしていたのである。

日本においても見かける光景ではあるが、子どもが小さい時から年長者に敬意をはらい、親を、お年寄りを尊敬し感謝することの大切さを身を持って経験的に教え導くことが大事であることを韓国人の生活の一場面において見付け感じたものである。

以前も書いたことがあるが、今回も韓国の地下鉄車内の優先座席は立っている人が多くいても空けられていたし、私が親しくなった韓国人と酒を酌み交わした時に、私が酒を飲み始めるまで彼らは杯を手にしないし、私がタバコを吸うまでタバコの箱を出すことも無かったほど年長者に対する礼儀はきっちりしたものであった。

礼儀、儀礼は形式上のことと軽んじる向きもあるが、形式をおざなりにすることで、その本質性を見失うことにもつながるものと私は思っている。

ニワトリが先でも卵が先でも構わない、ニワトリを失うことで卵を失ってはならないし、同時に卵を失う事によってニワトリを失ってもならないのである。

この食堂の老夫婦については、いずれまた述べることとする。



at 10:22│
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