May 27, 2008

九州・大分、福岡~韓国へ 【14】豊後高田・富貴寺の続き

富貴寺の仁王門をくぐって更に石段を上ったところに国宝・富貴寺の大堂が静寂な山間の樹々に囲まれるように落ち着いたたたずまいで建っている。

ゆるやかな曲線を描くように四方にのびる宝形造りの堂屋の甍、それに長年の風雨に耐えてきた扉や柱の朽ちた色合いが大堂を一層幽雅で風情あるものにし、周囲の状況と相まって静謐なる空間を醸し出している。
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富貴寺は山号を蓮華山と言い、蕗寺とも言うらしい。

大堂を囲む樹陰には山蕗が茂っていたのかもしれないなあと想像を掻き立てられる。
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大堂は総榧(かや)造りで内部は板間になっており、堂の周囲は廻り縁になっている。

堂内での撮影は禁止されているが、内部の照明や外部から陽光の反射があるために堂の外側から写真を撮ってみた。
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富貴寺で頂いたパンフレットには大堂も、その内部も、その他の石造についても良い写真が印刷されているので、それで充分であると考えるが、幾分暗い堂内を外部から撮ってみたらどういった写真になるかという程度の考えであったが、意外と良く取れていたので載せてみた。

写真4本の柱に囲まれた内陣台上に阿弥陀如来坐像(重文)が安置され、天井は細かな格天井で、長押上部には幾つもの仏像が描かれ、阿弥陀如来坐像の背後の壁面には浄土変相図(重文)が描かれている。

浄土変相図は何やら大伽藍が目立つ壁画ではあったが・・・

写真ではいずれも良く分からないが、壁画の劣化は随分進行していたように見受けられた。

本尊である阿弥陀如来坐像は蓮華座の上にあり、二重光背の木造仏で藤原時代後期の作とされている。

また、本尊の阿弥陀如来坐像のほか、同じく藤原時代後期作の阿弥陀三尊として阿弥陀如来坐像、勢至菩薩立像、観世音菩薩立像も安置されている。

下は石造の国東塔の写真である。

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国東塔と言うのは、以前杵築城の項でも書いたが宝塔や宝篋印塔、或いは供養塔や墓碑塔と呼ばれているものと同じである。

鎌倉時代以降に一定の形式が成立したものの地方によってその形に若干の異なりがあることから、国東地方の宝篋印塔を特に国東塔と名付けられているとのことである。

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大堂の横には国東塔のほか、古い時代(1368年)の石造・地蔵菩薩坐像なども並んでいる。【上の写真】

下の写真は富貴寺大堂の横の石段と鳥居(石造)であるが、鳥居は神社の象徴であり、我が国独特の神仏混淆の姿を表しており興味深いものである。

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738年、宇佐神宮は境内に神宮寺である「弥勒寺」を建立し、僧・法蓮を別当にしているし、749年には奈良・東大寺の大仏造立の際、鎮守神として宇佐神宮より勧請し手向山八幡宮を建立していることなどを思い出す。

前ページの最初の写真で示した富貴寺の石段横の石灯籠・・・これは正しくは石灯籠ではなく石幢(せきどう)と呼ぶ【燈籠のように火袋が無い】・・・などのような石造文化財が国東半島の至る所で見ることができ、国東はもっともっと時間をかけて巡りたいものと思った。

時間が限られているので先を急ぐことにする。


at 06:06│
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