May 27, 2008

九州・大分、福岡~韓国へ 【16】豊後高田・熊野磨崖仏・・・1

真木大堂から車を走らせて暫くすると左手へ曲がるようにカーナビが指示を出してくれた。

ナビゲートされるままに走らせると昔の農道を簡易舗装しただけのような道を走ることになり、それが更に細く、そして急な坂道になっていった。

レンタカーということもあり、こんなとこで対向車が来たらと左右に回避できるスペースがあるかどうかを確かめながら進んで行った。

回避できるとしても農家へ続く進入路のような細い道が時々あるだけ。

そんな集落内の急坂の道を抜けた所にやや広い道路が交差していたが、そこから更に細い急坂を登るようにナビが指示する。

かなりの急勾配の道であったが、それを登りきると土産物店が見え、その左手の石積みの前に駐車場が設けてあった。

車が3台駐車してあったので熊野磨崖仏参りか見学の人たちと思い、私も車を降りた。

駐車場の入口辺りに木造の小屋があるので、駐車料金を支払わねばならないのかと思い行ってみた。

が、駐車料金を払うのではなく、熊野磨崖仏の拝観券200円也を支払うのだ。

その小屋の窓口の前に杖が何本も立てかけてあるのに気がついたので、窓口のオバサンに、「杖があるということは登りの坂道がキツイということですかねえ」と訊ねてみた。

すると、オバサン曰く「そりゃあ、もう。持って行った方がいいですよ」と笑っている。

冗談を言っているのだと思っていたら、「ウソは言わんけん」と真面目な顔で付け加えた。

そんなことがあって私も杖を借りて土産物店の前を登り始めたのだが、駐車場の石積みの上にお寺があるようなので、それの石段を上ることにした。
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この寺は、今熊野山胎蔵寺と言い阿弥陀如来を本尊として718年に開かれた天台宗の本山の末寺のひとつである。

末寺とは言え本山の末寺であるから学問をする寺であったのだろうが、磨崖仏との関わりを考えると、やはり山岳信仰として修行寺であったのではと思いたくなる。

下は不動明王の石像であるが、なぜか銀箔をペタペタと貼られている。

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他に七福神も置かれてあったのだが、全て同様に銀箔を貼られてピカピカに輝いていた。

下は打ち出の小槌を持っているので大黒天であろうが、体全体に銀箔を貼られて銀ピカに輝き光っている。

大国様は五穀豊穣の神様なので、お金持ちになりたいという人たちが銀箔を貼ったのであろうか、所々金箔も貼られていた。

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さて、この胎蔵寺の石段を下りて土産物店との間に山の方へ向かう地道があるが、磨崖仏を見るためにはこの坂道を登っていかねばならない。

谷川(と言っても殆ど水は無い)に沿って登って行くのだが、しばらくすれば体中から汗が噴出してくる。

土止めの横木が入れられた山道であるから、さして登りにくいというわけでは無いものの息遣いが荒くなる。

一人で山登りのようなことをするのは心細くもあり、余計にしんどいものでもある。

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背中が汗でビショビショになったところで写真のような石畳の道に変わったため、「ああっ、もう直ぐやな」と喜んだものの、この石段が結構続くのである。

これまでのところは未だ杖を必要とするほどでもなく、「何や、この程度かいな」と思い、むしろ杖が邪魔に思えるほどであった。

             
続く





at 14:17│
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