May 28, 2008

九州・大分、福岡~韓国へ 【17】豊後高田・熊野磨崖仏・・・2

これまでのところ『杖』はむしろ邪魔であると書いた。

荷物はショルダーバッグだけではあるが、『杖』を使わなければ、ただ持っているだけで片手が塞がってしまう不自由な状態になっているのである。

平地では然程感じはしないが、山道坂道を歩行する場合に両手が自由であるか否かということは、歩き登るという行動に結構負荷を与えるものなのである。

日頃の運動不足だ、太りすぎだ、年だからなどと言われれば返す言葉も無いが、谷沿いの坂道を登り、更に長い石段を上っていけば帽子の内側に汗が溜まっていくのや、汗が背中を伝って行くのが分かるのである。

暦が5月になったばかりだと言うのに初夏の暑さ。風でも吹いてくれれば多少はマシなのだが、歩むスピードがどんどん遅くなるのが分かる。

石段が途切れ、やっと辿り着いたかと思ったところ、
e8972112.jpg

これまでに無かった急勾配の石積みの道。

しかも、大小さまざまの石が不規則に並んでいる。

何より石段の先が見えず、辿り着く先が分からないものだから、どれほど登ればよいのか・・・

目標が明確になっているのといないのとでは、やろうという意気込みに大きく影響を与えるものなのである。

この石積みの急な上り坂、実は鬼が築いたのだと

霊験あらたかな権現さまが紀州熊野から田染に来られ、近在の人々がお参りするようになっていた。

そんな中、1匹の鬼が住みつき、村人を食べたいと思っていたが、権現さまが怖くて我慢をしていたらしい。

しかし、どうしても我慢が出来なくなって、ある時権現さまにお願いをした。

すると、「日が暮れてから、翌朝鶏が鳴くまでに下の鳥居から上の神殿までの間に100段の石段を造れ。さすればお前の願いをかなえてやる。しかし、もし出来なかったならお前を食い殺す」と権現さまが鬼に約束された。

権現さまは、一夜で100段の石積みなど出来るわけがなかろうと鬼に申されたのだが、人間を食べたい一心の鬼は西叡山に日が沈むや山から石を探しては運び石段を築き始めたのだと。


真夜中を過ぎた頃、権現さまの坐す神殿の近くで何やら音が聞こえるので不思議に思った権現さまが覗いてみると、何と、石段は既に99段まで積まれ、最後の100段目の石を担いだ鬼が石段を上って来るところであった。

権現さまは、村人たちが食べられてはいけないと、『コケコッコー』と鶏の鳴き声をあげた。

鶏の鳴き声を聞いた鬼は、「もう夜明けか、このままでは俺が権現さまに喰われてしまう」と、最後の石を担いだまま夢中で山の中を走り抜け、1里半ほど走った平地で息絶えてしまった。

そこで、その土地を立石(速見郡山香町)と呼ぶようになったんだと。

この石段の写真は熊野磨崖仏管理委員会が発行するパンフレットより転載したものである。

実は、しんどくて写真を撮る気力も無かったのである。

ぶっははははは

【続く】





at 08:01│
記事検索
月別アーカイブ