November 26, 2008

九州への旅・・・12 長崎・島原(水無地区)

1990年(平成2年)に雲仙・普賢岳の噴火が起きたが、火山の活発な活動は続き、翌1991年(平成3年)には火砕流や土石流が谷に沿って麓の集落に向けて流れ下った。

それらが流れ下った跡は前ページの写真でも分かるが、実際に大野木場地区や水無地区へ行けば、その被害が広範囲にわたることがよく理解できる。

谷を凄いスピードで流れ下った高温の火砕流。 これは火山が噴出するもろもろの物質が溶けてガス状になったもので、単に熱風という程度の代物では無い。 高温高圧のガス、それが高い山から駆け下りてくるのである。

また、土石流というもの、これは火山から噴出された火山灰や火砕流によって運ばれ、山腹の斜面に何メートルにも積もったものが雨水の流れとともに流れ下るものだが、水に溶解することのない性質の物質がほとんどのため、全くの泥流となって流れ下るのであるから被害は甚大である。
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上の写真の山が平成新山であるが、わずかに頂上部の溶岩ドームが雲に隠れている。

この山から流れ下った土石流が、この地の建物をも埋めてしまったのである。

上下の写真とも木の柵に囲まれているのは民家の屋根だが、土石流によって完全に埋もれているのが分かる。
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二階建て民家も全く同様である。
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これらの家々は道の駅『みずなし本陣』の敷地にあり、土石流被災家屋保存公園として被災家屋を保存展示している。また入場料金が必要だが大火砕流体験間や火山学習館も併設されている。

また近くには雲仙災害記念館『がまだすドーム』などもあり、火山や火山噴火による被害などについて学習できる施設がある。

57号線を山側に入れば今も被災農地などが見えるし、平成新山を眺めれば土石流がいかに広範囲に流れ下ったのかを実感できる。

現在では土石流被害を防ぐための堤防が造成され、水の流れていないコンクリート製の川が出来上がっているなど、災害による被害を少しでも小さくとの努力が行われていることが分かる。

 

at 10:08│
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