November 27, 2008

九州への旅・・・13 長崎・島原

島原半島の東側、島原湾に沿うルートが国道251号線。
水無地区辺りは海側に国道57号線で251号線のバイパスのような高架道路が通っており、251号線の山側に雲仙温泉より下ってくる57号線の3つの道路が並んで通っている。

それら3本の道路が合流する辺りに島原外港があり、島原温泉と諫早を結ぶ島原鉄道の起点になっている。

この辺りから道路は市街地を通るようになり、しばらく251号線を走ると島原城への案内標識が見える。その標識に従って左折し、緩やかな坂道を走ると直ぐ右手に島原城の入口がある。

駐車料金を支払って城郭に入ると、目前に天守閣が聳え、その下一帯が駐車場になっている。
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上の写真が島原城の天守閣。

この天守閣を取り囲むように城壁が設えられ、西櫓、巽櫓、丑寅櫓があるが、全て復元された建造物である。

島原と言えば江戸時代初期に起きた『島原の乱』を思い起こすが、この島原城も戦が起きた要因のひとつとされている。

『島原の乱』は圧政に対する農民一揆のひとつであるが、その背景にはキリスト教弾圧という面もあり、この戦には島原と肥後・天草の農民たちが参加している。

この『島原の乱』については後に書く事にするが、1549年、鹿児島に上陸したイエズス会のフランシスコ・ザビエルによって日本にキリスト教が伝えられたことは周知のことである。

九州から山口、都である京都、大坂・堺と伝道にまわった彼に影響を受けた人々は数多く、戦国大名たちの受洗も多かった。

大伴宗麟、大村純忠、有馬晴信らは天正遣欧少年使節を送り出したことでも知られているが、島原は元は有馬晴信の所領で領民たちのキリスト教信仰の篤い土地。 また天草も関が原の戦以前はキリシタン大名・小西行長の領地であったためキリスト教信仰が熱心に行われていた。

しかし、関が原合戦后、小西行長は西軍・豊臣秀頼側の将の一人として処刑され、天草は佐賀・唐津藩の飛び地として寺沢広高の所領地となっていた。後に子どもの寺沢堅高が受け継ぎ、『島原の乱』に遭うことになる。(寺沢堅高も元はキリシタン大名であったが改宗して弾圧側に組している。)

一方、島原藩の有馬晴信は失態を咎められ切腹、長男・直純(元はキリシタンだが改宗)は宮崎・延岡藩に転封となり、代わって島原藩主となったのが徳川譜代大名・松倉重政である。
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この松倉重政が1618年から6年をかけ、1624年に完成させたのが写真の島原城である。

僅か4万石の大名・松倉重政が築城した城とは考えられないほどの立派な城郭であるが、肥後の細川、薩摩の島津など外様大名たちの動向監視という役目を担っていたであろう松倉としては当然の事業であったかもしれないが、築城事業の負担は必然的に領民への過度な負担として強制されることになる。

このことも『島原の乱』発生の要因のひとつになっている。

1876年(明治9年)に天守閣などの建物全てが壊されて廃城となり、現在は城跡公園として島原文化会館(手前の建物)などが建てられたりしている。

写真は城の北西位置から西堀と天守を撮ったものだが、昔は豊かに水をたくわえていたのであろう。 現在は土と緑に覆われているが、堀の深さや大きさ、石垣の堅牢さにも往時の城の立派さが偲ばれる。

現在、写真撮影位置の北側、二の丸通りを挟んで島原第一小学校、第一中学校、島原高校があり、この西堀沿いの道路を隔てて島原商業高校が建っているが、江戸時代には島原藩の武士たちが住まいしていた地域で武家屋敷が現在も連なっている。

話を城内、天守閣の東側へ戻すことにする。

丑寅(艮)の方角というのは北東方向であり、天守閣の東或いは東南方向に丑寅櫓があるのが解せないのだが・・・何を基に丑寅櫓と名付けているのやら。
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まあそれは良しとして、この丑寅櫓は西望記念館として北村西望(せいぼう・本名=にしも)の作品を展示している。(右手に丑寅櫓)

上の作品テーマは『平和の女神』

北村西望が彫刻家であり、長崎・平和祈念像の作者であることは知っていたが、彼が島原出身であることをこの地に来て初めて知った。 
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上の作品テーマ『星空無限』

屋外に展示されている寄贈作品である。

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上の作品テーマ『日蓮上人』

憤怒の感情を表すような険しく激しい表情、全身に漲る魄力は舌鋒鋭く辻説法を行う日蓮の様子をよく表していると思った。

前に突き出した右手が大きいのは遠近法を利用した視覚的効果を考えてのことか、見る者に強烈なインパクトを与えるものであった。
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上の作品テーマ『人類之危機』
驚愕、不安、恐怖、畏怖、驚怖・・・

どんな言葉を並べても、ひと言では表現出来ないものが作品全体から発せられている。

太陽のように如何なる物質をも瞬間的に溶解してしまう高温の真っ白い光を発しながら急激に接近してくる巨大な隕石を目の当たりにした時、人々はこのような姿をとるのかもしれない。

左手は「待ってくれ」と言っているのかもしれない。

右手は強烈な威圧や恐怖から自らを支えようと自然と後方に伸びたのかもしれない。

歪んだ表情に大きく開いた口からは、どんな音が発せられているのだろうか。

考えさせられる不気味な作品であった。


at 08:40│
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