November 29, 2008

九州への旅・・・14 長崎・島原武家屋敷

島原城の西側一帯に武家屋敷群が残っていることを前ページで書いた。

資料によれば一帯を鉄砲町と言い、鉄砲組の徒士たちが住まいしていたとのことである。
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通りに面しては石積みの塀が続き、通りの中央には積み石で仕切られた掘割があって清流が流れている。

この掘割の清流は、ずっと上にある湧水地から引いているらしいが、築城の街づくりの際に造られたもので現在もその当時のままであるとのこと。
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現在は使ってはいないが、江戸時代には生活用水として用いられていたらしい。

島原は雲仙の伏流水が湧出しており、各所に綺麗な湧水が流れている。

武家屋敷群と書いたが、正しくは屋敷跡群であり、石積みの塀や掘割は往時のままだが、建物は現在の居住者用に新しくなっている。

極一部、旧の建物構造を保存・公開しているが、鉄砲組の徒士というのは藩士の中でも下級に属すため住居も然程立派なものではない。

3間か4間に土間の台所という構造であるが、田舎間(江戸間)であるために京間に比べて狭い。 それに少しばかりの庭?がある程度の屋敷である。

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私達は武家屋敷跡を見学するのに島原第一中学校の前、桜門公園の観光者用の無料駐車場に車をおいて見学に出かけたが、一般に城下町というものは道路が狭く、通行するにも駐車するにも不便なところが多いものだからこうした駐車場の配慮は有難いものであった。

また、たまたまであったのか、私達が武家屋敷跡をブラブラ歩いている時、他の観光客が全くいなかったこともあって、清閑な石積み塀に囲まれた武家屋敷跡の通りは古き往時を彷彿とさせる格別の感慨を味わうことが出来て素晴らしいひと時を過ごすことができた。

下の写真は時鐘楼であり領民に時を報せる目的で藩主・松平忠房が1675年に造ったものだが、太平洋戦争時に金属の供出で無くなったものを復元したらしい。
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ただ、行く先々でやたらと黒や緑のヘビに出会ったのは・・・むむむ

石積みの塀を出入りするのがいるかと思えば、ある館の庭に回りこんだところ、黄色い口をあけて緑色のカエルを咥える瞬間のヘビを見てしまった。

「キュッ」という音はカエルが発した最期の声だったのだろうか。ヘビに呑まれたカエルの右手と両足は突っ張るように伸びてはいたがピクリとも動きはしなかった。

ヘビはそのまま建物と踏石の陰へ。

キライなんやなあ、ヘビは。

専門用語ではあるけど、最近マスコミでみ頻繁に用いられるようになってきた言葉にPTSDがあるが、私のヘビ嫌いもPTSDの範疇に入かと言うとそうではない。

昭和28年か29年であったと思うが、夏の間ちょくちょく六甲・芦屋の苦楽園の叔母の家で遊んでいた。

山の上で涼しく、夜には電灯の明かりでカブト虫が飛び込んでくることや、当時は珍しいテニスコートやプールがあったからである。

勿論当時の私は重たいテニスのラケットなど振り回すことは出来なかったが、ボール遊びやプールでの遊びなど兄ちゃん姉ちゃんが相手をしてくれるので楽しい時間を過ごしていた。

ところがプール(子ども用ではない)サイドに大きい岩が突き出しているのだが、そこにいたマムシに噛まれた男の人が一人亡くなったという話を聞かされたのである。

詳しいことは省くが、それ以来マムシが恐ろしく、そのプールへは行かなくなったし、以後、マムシの出そうなところへは極力近付かないようになったばかりでなく、ヘビそのものを嫌うようになった。

これだけのことではあるが、確かに話とは言え私にとっては恐ろしい話であり、記憶という面でも未だに覚えており、その後もマムシをヘビを回避する行動を取ってきた。


真剣に振り返ってみたことはないが、PTSD、つまりpost-traumatic stress disorder、心に傷を受けることによって起きる精神的障害ということで心的障害とか外傷後ストレス障害などと訳されているように、受けたショックを記憶として形成し、そのショックを内在的な傷とした様々な形で出る障害をPTSDと言うのであって、私の場合はヘビに対する恐怖心や嫌悪という感じは持っていても、それが社会的人間的障害としては出ていないので、私の場合はPTSDとは言わない。

何が原因であれ、理屈抜きに生理的にとでも言おうか、ヘビという奴はスカン。


at 11:10│
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