May 09, 2009
不思議なこと (私の受け止め方)
不思議と言っても怪しい奇怪なることを言うのではないし、異様というのでもない。
つまり予知することも予期することも思いはかることもできないという意味での不思議である。
カリフォルニア州サンディエゴに住む里子の娘の結婚式に出席するため先月の初めより兄夫婦がアメリカへ行き、そして月末に帰国した。
近頃の高齢者は元気だとか若いとかよく言われるが、兄は82歳で姉は78歳である。
いかに若い元気と言っても80歳になればそれなりの衰えや障害はあるもので、アメリカ西海岸とはいえ12~3時間の飛行に広い空港内の移動は苦痛すら伴うものである。
その上に姉は日常的に体が弱く病気がちであり、国内も東京と博多へ行ったことがあるだけで海外渡航は今回が初めて。
兄の方は日本からアメリカ本土への直行便が無く、ハワイ経由のプロペラ機で渡っていた時代から仕事で海外を回っていたからそれほどの心配をすることも無かったのだが、姉の体力についての問題と、その姉を連れてというか介護しながら行かねばならない兄のことについては随分心配し気を遣った。
結婚式はキリスト教会で、披露宴はHYATT REGENCYで皆が夜通しダンスをしていたらしい。 兄夫婦は部屋で眠ったらしいが。
結局、関空⇒ロサンジェルス⇒サンディエゴ、サンディエゴ⇒ホノルル⇒関空というルートで、帰路ハワイで休息をとって無事に帰国した。
5月4日だったか休日であるのに郵便物が届いたので驚いて見た。
絵葉書にサンディエゴと書いてあるので兄夫婦が現地で送ってくれたのだろうと思っていた。
ところが本文の終わりのサインを見たら、何とアンナから。
横にいた家内に言うと家内も驚いて「アンナちゃんもサンディエゴ?」と素っ頓狂な声を上げていた。
アンナというのはポーランドのクラクフを私達が訪れた時、親切に道案内してくれたことが縁となってお付き合いしているお嬢さんである。
彼女はアメリカ在住の叔父の娘の結婚式に出席するということを手紙に書いていたので彼女が渡米することは私達も知っていた。 が、その行き先がサンディエゴであるということまでは知らなかった。 それに渡米の時期も知らないことであった。
何の打ち合わせをするでもなく、日本から結婚式に出席するために兄夫婦がサンディエゴの町を訪れ、ポーランドからも結婚式に出席するためにサンディエゴを訪れる。 しかも同じ時期に。
そんなこともあるだろうという見方があることは承知であり、これを偶然と結論づけることも容易である。地球上には無数の町や村があり沢山の人たちが生活し、しかも人々は常に世界中を移動しているのだから、それらの人達がどこで会おうと不思議ではないと。
しかし、地球という広い座標においてサンディエゴという交点はたったひとつの極々小さい点であり、世界に住まう大多数の人達は交点であるサンディエゴを訪れたことがないはずである。 しかも同じ時期に結婚式参列という同じ目的を持って訪れることなど誰が予見できようか。
兄夫婦の里子は南ベトナムのゴ・ディン・ジェム政権による弾圧のもと(この後アメリカ軍によるベトナム戦争が始まった)で犠牲になった家の息子で日本の大学を出てアメリカへ渡った。
また、アンナの叔父さんは1970年のポーランド民主化闘争(連帯・ワレサ議長の頃)以前の活動家で時の政府より弾圧を受けていたためにアメリカへ亡命した人で、いずれも国家体制による犠牲という立場でも似通っている。
兄夫婦とアンナが出会ったかどうかは知らないが、双方を知る私がその近接を知り不思議なことだと感じるのは当然とまでは言わなくても先ず先ず妥当であると言えるのではないだろうか。
偶然とするか不思議と受け止めるか、これは人それぞれだが私は不思議なことと受け止めた。
サンディエゴの航空母艦(博物館になっているらしい)をバックに兄夫婦。
海軍基地サンディエゴの港の軍艦と、それに対比するように豪華客船やヨットハーバーに係留された沢山のヨット、港内をのんびり巡る遊覧船などを見て、平和な世界であることが大切と改めて感じたらしい。
写真は何やらマフィアのようだが、平和主義の老夫婦である。
つまり予知することも予期することも思いはかることもできないという意味での不思議である。
カリフォルニア州サンディエゴに住む里子の娘の結婚式に出席するため先月の初めより兄夫婦がアメリカへ行き、そして月末に帰国した。
近頃の高齢者は元気だとか若いとかよく言われるが、兄は82歳で姉は78歳である。
いかに若い元気と言っても80歳になればそれなりの衰えや障害はあるもので、アメリカ西海岸とはいえ12~3時間の飛行に広い空港内の移動は苦痛すら伴うものである。
その上に姉は日常的に体が弱く病気がちであり、国内も東京と博多へ行ったことがあるだけで海外渡航は今回が初めて。
兄の方は日本からアメリカ本土への直行便が無く、ハワイ経由のプロペラ機で渡っていた時代から仕事で海外を回っていたからそれほどの心配をすることも無かったのだが、姉の体力についての問題と、その姉を連れてというか介護しながら行かねばならない兄のことについては随分心配し気を遣った。
結婚式はキリスト教会で、披露宴はHYATT REGENCYで皆が夜通しダンスをしていたらしい。 兄夫婦は部屋で眠ったらしいが。
結局、関空⇒ロサンジェルス⇒サンディエゴ、サンディエゴ⇒ホノルル⇒関空というルートで、帰路ハワイで休息をとって無事に帰国した。
5月4日だったか休日であるのに郵便物が届いたので驚いて見た。
絵葉書にサンディエゴと書いてあるので兄夫婦が現地で送ってくれたのだろうと思っていた。
ところが本文の終わりのサインを見たら、何とアンナから。
横にいた家内に言うと家内も驚いて「アンナちゃんもサンディエゴ?」と素っ頓狂な声を上げていた。
アンナというのはポーランドのクラクフを私達が訪れた時、親切に道案内してくれたことが縁となってお付き合いしているお嬢さんである。
彼女はアメリカ在住の叔父の娘の結婚式に出席するということを手紙に書いていたので彼女が渡米することは私達も知っていた。 が、その行き先がサンディエゴであるということまでは知らなかった。 それに渡米の時期も知らないことであった。
何の打ち合わせをするでもなく、日本から結婚式に出席するために兄夫婦がサンディエゴの町を訪れ、ポーランドからも結婚式に出席するためにサンディエゴを訪れる。 しかも同じ時期に。
そんなこともあるだろうという見方があることは承知であり、これを偶然と結論づけることも容易である。地球上には無数の町や村があり沢山の人たちが生活し、しかも人々は常に世界中を移動しているのだから、それらの人達がどこで会おうと不思議ではないと。
しかし、地球という広い座標においてサンディエゴという交点はたったひとつの極々小さい点であり、世界に住まう大多数の人達は交点であるサンディエゴを訪れたことがないはずである。 しかも同じ時期に結婚式参列という同じ目的を持って訪れることなど誰が予見できようか。
兄夫婦の里子は南ベトナムのゴ・ディン・ジェム政権による弾圧のもと(この後アメリカ軍によるベトナム戦争が始まった)で犠牲になった家の息子で日本の大学を出てアメリカへ渡った。
また、アンナの叔父さんは1970年のポーランド民主化闘争(連帯・ワレサ議長の頃)以前の活動家で時の政府より弾圧を受けていたためにアメリカへ亡命した人で、いずれも国家体制による犠牲という立場でも似通っている。
兄夫婦とアンナが出会ったかどうかは知らないが、双方を知る私がその近接を知り不思議なことだと感じるのは当然とまでは言わなくても先ず先ず妥当であると言えるのではないだろうか。
偶然とするか不思議と受け止めるか、これは人それぞれだが私は不思議なことと受け止めた。
サンディエゴの航空母艦(博物館になっているらしい)をバックに兄夫婦。
海軍基地サンディエゴの港の軍艦と、それに対比するように豪華客船やヨットハーバーに係留された沢山のヨット、港内をのんびり巡る遊覧船などを見て、平和な世界であることが大切と改めて感じたらしい。
写真は何やらマフィアのようだが、平和主義の老夫婦である。
at 15:02│