August 22, 2009

北欧の旅 (39) スウェーデン・ストックホルム、ドロットニングホルム宮殿

旧市街・ガムラ・スタン(スターズホルメン島)の王宮横の岸壁通りから新市街方向に向かう場所からの写真である。

下の写真の右側、緑青色の屋根に各国国旗が揚げられている建物がグランド・ホテル。
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1872年創業の老舗5ツ星ホテルであり、歴代のノーベル賞受賞者とその家族の宿泊施設とされてきた建物である。

1872年というのは明治5年、日本の学校制度『学制』が公布された年である。

グランドホテルの写真右手の方には国立美術館もあり、新市街側と言っても王宮や国会議事堂と向かい合う一帯には古い建物も多く落ち着いた雰囲気を醸し出している。

下は王立オペラ座と16世紀後半に建てられた聖ヤコブ教会(右側)。

王立オペラ座は1782年に開設、杮落とし公演が行われたが、これの創設はスウェーデン王グスタフ3世(Gustav ?・Carl Fredrik Adelcrantz)であった。
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グスタフ3世の治世についての評価は分かれる。

しかし、隣国デンマークにロシア(エカテリーナ女帝時代)、プロイセンにイギリス、フランスとヨーロッパ列強の狭間にあってスウェーデン王国を強大国と比肩できる地位に高め維持させた功績は大きいと言わねばならないだろう。

王位を継承した後、グスタフ3世は政治上の実質的権力を握っていた貴族たちから軍事力をもってそれを奪い、政治権力を国王のもとに集中させるという専制的絶対君主国家を造り上げた。

絶対君主制というのは君主の考え方や姿勢がまともな時は良いのであるが、歴史上専横政治になりがちであった。

後世、グスタフ3世は啓蒙的専制君主と呼ばれているが、フランス文化を好み、ジャン・ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)やヴォルテール(Voltaire)ら当時を代表する啓蒙主義者と親しく交流していたようなので、彼の治世について細かくは知らないけれど、当時としては『マシ』な政治を行っていたのではないかと推測する。

フランス文化に傾倒していたグスタフ3世は下の写真にあるドロットニングホルム宮殿(Drottningholmsslott)で舞踏会を開いたり、オペラハウスでの演劇も大いに楽しんでいたようであるが、1792年、オペラハウスで鑑賞中に背後よりピストルで撃たれ暗殺されている。《この暗殺事件は実行犯はともかくとして、権力を奪われた貴族たちによる反乱と見るのが正しい》

一方、グスタフ3世が親しい友好関係にあったのはフランス・ブルボン王朝のルイ16世(Louis XVI de France)であった。

ルイ16世は、神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンと皇后マリア・テレジアの娘マリア・アントーニア(Maria Antonia)、つまりオーストリア・ハプスブルク家の娘を妃としていたことでも知られ、浪費家でスキャンダルまみれのマリー・アントワネット(Marie Antoinette)とともに暗愚の王・ルイ16世として知られ、1792年のフランス革命において二人は捕えられ、翌1793年に二人ともパリに於いて断頭台の露と消えている。

しかし、後世の史料研究の中でルイ16世は暗愚な国王ではなく積極的に治世の改革を進めてきたが、ことごとく貴族達の反対にあって潰れていたことが明らかになってきたし、マリー・アントワネットのスキャンダルも多くが意図的に捏造されたものであったことも分かってきている。

グスタフ3世もルイ16世も貴族達の私欲との関係で命を捨てる結果となったが、1792年という年は何か因縁めいたものを感じる年である。
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上の写真が『北欧のヴェルサイユ宮殿』と呼ばれるドロットニングホルム宮殿(Drottningholmsslott)である。

現在のスウェーデン国王は、カール16世グスタフ(Carl XVI Gustaf)。

王妃は、シルヴィア(Drottning Silvia)。

子ども達は、
ヴィクトリア王女(Kronprinsessan Victoria )、カール・フィリップ王子(Prins Carl Philip)、マデレーン王女(Prinsessan Madeleine)。

スウェーデン王国が正式名称であるが、現在のスウェーデン憲法では国王に統治権限はなく儀礼的国家元首と言え、日本国憲法における象徴としての天皇と立場上は似ている。

日本の美智子皇后は民間出身であり、雅子皇太子妃も民間出身である。

スウェーデンのシルヴィア王妃はドイツ人の民間人。ヴィクトリア王女(法定王位継承者でありヴィクトリア王太子)の婚約者は民間人のダニエル。

オロフ・ダニエル・ベストリング(Olof Daniel Westling)

何かと似た共通部分が多い。
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スウェーデンでは男女に限定することなく第一子を王位継承者とする法律が制定されているので、ヴィクトリア王女が次期王位を継承することになり、グスタフ国王の次はヴィクトリア女王ということになり、ダニエルはその夫と言う立場になるのである。

日本の場合はどうなるのか万世一系の皇統云々と喧しいが、そもそも万世一系などということがあるのだろうか。このようなことを書けば、戦前なら忽ちにして不敬罪で拘引されてしまったであろろう。

有史以降、つまり文献資料として明確な証拠がある部分においては一系を認めないこともないが、有史以前は・・・。万世とは有史以前をも含めるものであるし、有史以降も皇統に全くの作為が無かったと言いきれるだけの確証もないし、あまりガチガチに考えることもないのではないかと思うのである。

スウェーデン王室一家が日常生活をおくっているのがこの宮殿であるが、2階と3階部分が公開されており私たちが見学に訪れたところである。

スウェーデン王室が王宮や宮殿を開放する姿勢、それに一般民間人との交際も特段の制限を加えることもなく、国民もそうしたことを温かく見守っている姿など、私は今後の日本の皇室と国民の在り方について大きく参考になるものだと感じたのだが、果たしてどのような展開になっていくものやら。



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