August 29, 2009

北欧の旅 (42) SILJA LINE・ヘルシンキ入港を前に【甘露の話】

海上からのヘルシンキ入りは初めてである。

前夜遅くになっても太陽が沈まず、キャビンの窓のカーテンを閉じて部屋の照明も消したが発熱と咽頭・気管支の炎症のためになかなか寝付かれなかった。

しかし、雨模様の天候であったが海上は白波が立つこともなく、船体が大きいだけに揺れることもなく機関の音がベッドに伝わってくることもなかったためか3時間ばかり熟睡できたようだ。

体中、とりわけ上半身にかいた汗の量は相当なもので、それが気色悪くて目覚めたのだが、被っていた毛布を除けると気化熱で体温が急速に奪われていくのが分かった。咽頭の痛みと腫れは引いてはいないが、体調が回復傾向にあることは実感できた。

冷蔵庫にあった冷えた缶入りの天然水が実にうまかった。

子どもの頃、某教会の教会長が「水を飲めば水の味がするんや。」と教えの一端を説いてくれたことがあった。

教理を説く話の流れの中の言葉であるから、それの意味合いという点においては頭の中では当時も理解できていた。

しかし、この言葉の意味を実際に感得できたのは40歳を越えてからであった。

開腹手術を受けて丸2日間ICUで眠りこけ、暗い照明の光源がぼんやりと焦点も定まらずに数本の揺れるローソクの炎に見えた時のことであった。

静寂な中、切られたはずの腹の痛みも無く、ただローソクの炎が揺れている。

この時、私は祀られていると、つまり、自分は死んだのだと思ったものだった。

それが緩慢ではあるが何度か瞬くうちに目の焦点が合い、ローソクの炎であると思っていたものが豆球ほどの光量に落とした1個の電燈で、ガラス窓で仕切られた暗い部屋に自分が寝かされていると分かるまで随分の時間を要したように思う。

それから直ぐに看護婦がやってきて、「目が覚めた?○○さん。お水を飲む?」と尋ねられ、唇も口の中もカラカラに乾いていることに気付いたものだった。

それで返事をしたつもりであったのだが声にはなっていなかったみたいで、看護婦が私の手を握り、彼女の問い掛けに対して『イエス』なら瞬きするか手を握り返すように指示したように思う。

で、看護婦がお水をコップに入れて持ってきてくれたのだが、そのまま飲んだわけではない。 彼女がティースプーンに、そのスプーンもいっぱいに水を入れてくれたわけでもない。 スプーンの先に乗る程度の水。 将に雀の涙ほどの水を口につけてくれたのである。

これはとても『飲む』と言えるほどのものではなく、唇を湿らせる程度のことであったが、ただの水がこれ程に美味しいと感じたことは無かった。

水を飲めば水の味がする

何のこっちゃと思える言葉ではあるが、僅か11文字が綴られた言葉の奥には深ーい深ーい意味が秘められていたことを身をもって知り得た時であった。

ヘルシンキ入港を前に『美味しい水』を飲むことができ、私は幸せな感じにしばらく浸っていた。

カルキ(さらし粉)臭い水道水ではない森と湖の国フィンランドの天然水だから美味しかったのだろうと思う人もいるかもしれない。

確かにそれもあるかもしれない。 別に押し付けるつもりはないが、水を飲めるということだけでも私は幸せを感じるのである。


at 06:27│
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