September 28, 2009

博多を巡る【3】筥崎宮『放生会』(上)

博多三大祭と言われているものがある。

5月の『博多どんたく港まつり』、7月の『博多祇園山笠』、そして9月に行われる『筥崎宮(はこざきぐう)の「放生会」』である。

いずれも古き由来を持つ行事であるが、『博多どんたく港まつり』の名称について、『博多どんたく』として知ってはいたが『港まつり』が付いていることには昨年の5月に初めて知った。

昨年4月にY君とHさんが挙式、5月にHさんの実家(大分県)での披露宴を終えて博多に立ち寄った時のことであった。

櫛田神社の『祇園山笠』は何年前になるだろうか、船長M氏とS君の世話で神社に特設された席で見学させてもらった。

一番山車が櫛田神社の境内をスタートするのが午前4時59分なので、S君が午前3時に車でホテルまで迎えに来てくれ案内してもらったことは忘れられないことである。

今回は博多の遺跡巡りを目的に行ったところ、『筥崎宮の「放生会」』に当たっており、偶然にも見学する機会を得たのである。
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川端の消防署前にある喫茶店『LANVIN』(ランバン)。 以前より時折寄っていた店なのだが、冷泉閣川端ホテルを常宿にするようになってからちょくちょく行くようになった。

なかなかコーヒーがうまいのである。 主、大阪流に言えば“おばはん”が一人で切り盛りをしている気さくな店なのだが、サイフォンでコーヒーをたてて其々に異なった器で出してくれる。

水にも凝っていて、以前は熊本県・黒川温泉近くの湧水を、最近は大分県・日田、湯布院近くの湧水を毎週汲みに行っているそうな。

1回で200リットルの水を持ち帰るらしいから労力も大変なものと思うが、ご当人は気楽なもの。 お店は、月・火・木・金のみ開け、営業時間は午前9時すぎ頃から3時頃まで。 夕刻5時過ぎより11時までだが、夜の部は2000円で飲み放題。 いわゆる常連さん中心の店であるが儲け度外視、“おばはん”が趣味で開いているような店である。

博多弁丸出しで飾らない“おばはん”ゆえに何となく落ち着け、我が家にいるような気分でおれるのである。

川端商店街のアーケードを少し歩けば地下鉄・中洲川端駅。ここから貝塚方面行きの電車に乗って箱崎宮前駅で下車。

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地下鉄・箱崎宮前駅は上の絵図の参道の中ほどにあり、地上へ出た所が筥崎宮の参道(下の写真)である。

この写真は筥崎宮の本殿の方向に向かって撮ったものだが、参道両側に並ぶ露店は国道3号線にまで続き、その数700軒にものぼり、筥崎宮放生会の名物のひとつに数えられている。
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ところで『放生会』だが、一般的には仏教における不殺生の教えから捕えられた生き物を元の生息場所に放してやろうと、秋・九月(陰暦8月15日)に神社やお寺で行われてきた祭事を言う。

これを『ほうじょうえ』と呼ぶのだが、筥崎宮放生会の場合は『ほうじょうや』と『会』を『え』ではなく『や』と言うのである。

この放生会の名物として露店の数の多さを紹介したが、お化け屋敷も人気が高いらしい。 もっとも怖いのは嫌いな私は近寄りもしなかったが。

そのほか、土を焼いて作った“おはじき”や“チャンポン”も名物なんだと。

“チャンポン”と言えば私が知っているものは2つ。

九州のことだから博多でも長崎チャンポンか、それとも神具や楽器のシンバルのようなものかと思っていたのであるが、“放生会チャンポン”というのはビードロのことなのだそうだ。
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ビードロというのは切手にもなった喜多川歌麿の“ビードロを吹く女”に描かれているガラス製の小さな楽器というか玩具である。 ピープーと鳴る。

それに分からなかった名物の一つが“放生会生姜”である。

露店と言えば、イカ焼き、たこ焼き、お面、お菓子などの店を思い浮かべるのであるが、そのような店に混じって“放生会生姜”の店も出ていたのである。

瑞々しい緑の葉っぱごと新生姜が露店に並べて売られていたのである。

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筥崎宮とショウガの関係は? 放生会とショウガの関係は?

大阪でなら『えべっさん(戎さん)と福笹』とか『道修町の神農さんの張子の虎』など神社とのつながりもあるのだが、『筥崎宮放生会と生姜』の関わりが分からなかったので露店の若い男前の可愛いニイチャンに尋ねてみた。

3つも形容の言葉を重ねたが、大学生のアルバイトなのか、ホンマに“かわゆい”ニイチャンで、私らが幼かった頃に抱いていた香具師のイメージとは全くかけ離れた風貌であった。

余談はさて置き、放生会(ほうじょうや)の時期に新生姜が旬の時期を迎えるので売られているのだと聞かされている。他に特別な意味合いはないと言葉づかいも丁寧に応えてくれた。

近頃めずらしい好青年であった。

下は『一の鳥居』と『楼門』。
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この『一の鳥居』も上の写真の鳥居も筥崎宮の鳥居は石造であるが、三段に積まれた台石は随分太く上段の石が台石に比して細すぎる感を受ける。

見ようによっては安定しているとも言えるが、他の神社の鳥居を思い浮かべると下部と上部の太さの比率が・・・。 それに、鳥居の冠木(笠木)とその下の貫の長さが同じで何やら不思議な感じを受ける。

一般の神社の鳥居は冠木が長くて貫は短く造ってあるものなのだが、筥崎宮の鳥居には何か意味があるのかもしれない。

ちなみにこの『一の鳥居』は福岡藩主黒田長政が1609年(慶長14年)に建立したもので国の重要文化財に指定されている。
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写真に写る檜皮茸きの入母屋造りで立派な楼門も国の重要文化財に指定されている。 

これは秀吉の命を受けて筑前領主となり名島城に入った小早川隆景が建立したものである。

この楼門に向かって右手に神木『箱松』と『絵馬殿』がある。

神木『箱松』と言うのは筥崎宮の三祭神【応神天皇(八幡大神)・神功皇后・玉依姫命】の応神天皇が生まれた時の胞衣(えな・胎盤など)を葦津ヶ浦と呼ばれたこの地へ箱に納めて埋めた“しるしの松”という意味らしい。

その箱を埋めた海辺の先ということから箱崎という地名になったとも言われているが、実証に乏しい時代のことゆえ伝聞表現以上には書けない。
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絵馬殿には時代的に古いものもあるが、写真のような大きい戦記物の絵馬(神功皇后、壇ノ浦合戦、川中島合戦など)が掛けられていた。

神木『箱松』を囲む朱塗りの木柵には多くの祈願絵馬が掛けられており、写真の大きい絵馬はソフトバンク・ホークスとアビスパ福岡の優勝を祈願したものである。

また、この楼門に掲げられた扁額には『敵国降伏』の文字。

神社の楼門に何とも不釣合いな・・・と思うのは私の神社観のためかも。
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この『敵国降伏』は醍醐天皇の宸筆とか。

その文字を拡大、扁額として掲げたのは小早川隆景だそうだが、醍醐天皇の治世に外国との諍いがあったかどうかを思い出そうとするのだが無かったような・・・

醍醐天皇と言えば思い浮かぶのは『昌泰の変』であり、菅原道真を大宰権帥として左遷した事件である。 が、醍醐天皇は『延喜の治世』と評されるほど当時としてはまともな政治を行ったとされる人物。 延喜格式の制定、古今和歌集を紀貫之に選集させたりもした人物。

その天皇が敵国と仮想したのは一体・・・


at 17:50│
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