September 30, 2009

博多を巡る【6】香椎宮へ (下)

香椎宮の祭神が仲哀天皇と神功皇后の二座であることは先のページで書いた。

仲哀天皇と神功皇后については古事記(中巻)、日本書紀(巻第八)に記されている。

天皇が実在したかどうかははなはだ疑問に思うが、それについては研究者に任せるとして『お話』として読むのは面白い。

仲哀天皇(帯中津日子天皇・足仲彦天皇・たらしなかつひこのすめらみこと)は倭建命(日本武尊・やまとたけるのみこと)の第二子である。
f43662d6.jpg

楼門を入った所で撮影。 皇統二座を祀る香椎宮ゆえ楼門の門扉に十六弁八重菊の紋章が彫られ、幔幕にも入れられているのであろう。

この楼門は 1909年(明治36年)に再建されたとのことなので菊の紋章に何の不思議もない。 つまり太政官布告(1869年・明治2年)によって皇室は十六弁八重表菊、皇族は十四弁一重裏菊と決められたのだから。

しかし、皇室の紋章が菊花にと・・・明治以前に使っていたのだろうか。 ツマラン疑問が湧いてくる。

『宮さん宮さん お馬の前に ひらひらするのは何じゃいな トコトンヤレトンヤレナ~ あーれは朝敵征伐せよとの 錦の御旗じゃ知らないか トコトンヤレトンヤレナ~』と、私が幼かった頃、母親に教えてもらった歌を思い出してしまった。

明治維新の戦で官軍が掲げた錦の御旗が日月旗であったことは絵図でも明らかで、皇室を表わすものは金銀の太陽と月であった。

1867年当時、まだ年若い天皇が王政復古を宣し、何もかも新しい装いで天皇中心の国家体制を急遽確立する過程で、新政府高官となった者たちが鳩首凝議の末、菊花紋を皇室の紋章に制定したのかもしれない。

この狛犬は楼門を入ったところに献じられたものだが、すこぶる頭が小さい。
54ef7122.jpg

参拝者が見上げた場合の効果、つまり遠近法を用いて彫られたのかもしれないが何とも妙な狛犬であった。

香椎宮の創建が724年であることは先に書いたが、この地に宮が造営されることになったのは記紀の記述内容がその理由となる。

仲哀天皇の后が神功皇后であるが、その仲哀天皇が橿日宮(訶志比宮・かしひのみや・香椎宮)で熊曾國(熊襲国)を討とうと建内宿禰(武内宿禰・たけのうちのすくね)に相談した時、神功皇后に神託がおりた。

その託宣は、「西方有國。金銀爲本、目之炎耀、種種珍寳、多在其國、吾今歸賜其國。」(西の方に国あり。金銀をはじめとして、目の輝くくさぐさの珍しき宝、さはにその国に在り。われ今其の国をよせ賜はむ。)というものであったが、仲哀天皇は信じなかった。この国というのが新羅であったのだが・・・

このことに神が怒り、翌年に仲哀天皇が急死してまった。

そこで、神功皇后がこの地に祠を建てて仲哀天皇の御霊を祀ったというのが起源とされ、その後、神功皇后は妊娠(のちの応神天皇)したまま朝鮮に出兵、新羅、高句麗、百済を従えさせた(三韓征伐)という。

が、200年に亡くなったという仲哀天皇の実在性が疑問視され、神功皇后が執政したとされる201年から269年という時期は中国の魏の史書である魏志の東夷の条、つまり魏志倭人伝に記される倭の国と卑弥呼、卑弥呼が亡くなった後の壱与に関する記述があるだけで神功皇后の三韓征伐についての傍証が無いことから、現時点では記紀の物語(神話)と言う以外にない。

712年に古事記、720年に日本書紀がまとめられ、724年に当時の朝廷が香椎宮を造営し、仲哀天皇、神功皇后を祀った。

話が飛び飛びになってしまうが、写真の樹木は『綾杉』と言う。
331fc6c0.jpg

写真の通りの大木で、幹分かれした方はクネクネと天に昇らんとする龍の如くにも見えた。

新古今和歌集の『千早振る香椎の宮の綾杉は神の禊に立てるなりけり』との歌があるように、神木として神事に使われるようであるが詳しくは知らない。

下の写真は本殿に詣でるための中門である。
db624ce0.jpg

中門をくぐった正面に拝殿と本殿がある。
c016e0ce.jpg

下の写真は拝殿と本殿の全景で、これは第10代福岡藩主・黒田斉清(くろだ なりきよ)が1801年に再建したものである。
94efcd41.jpg

本殿は香椎造と言われ重要文化財に指定されている。

正面奥の本殿を拡大した写真が下のものだが、香椎造と呼ばれているのは屋根は入母屋造で、その左右に切妻造の翼廊(左手は隠れているが)が出ており、正面に車寄せが設けられている造りらしい。
e88e362a.jpg

神社の建築様式にもいろいろあるが、確かにこれまで見てきたものとは異なっている。

この社殿から下って東北方向に進むと不老水と呼ばれる霊泉が湧いているらしい。 仲哀天皇の遺体を海路で豊浦宮(山口県)へ移送し葬ったとされる武内宿禰の家の井戸だという。 武内宿禰が300歳もの長寿だったとされていることから不老水と呼ばれているのだろうが、日本の名水百選にも選ばれているらしい。

近くに蕎麦屋の看板も見つけていたので霊水を戴いて昼ご飯とも思ったのだが、T君の旬菜『和くら』も割りに近い所にあるので、のぞいてみようかと。

一人旅に予定など必要ない。


at 15:43│
記事検索
月別アーカイブ