October 15, 2009

会ってやれなかったマルガリータ

今年の夏から秋にかけて会ってみたい人物が何人かいた。

6/23~9/23 国立国際美術館〔大阪〕
            『ルーヴル美術館展(美の宮殿の子どもたち)』
6/30~9/27 京都市美術館
            『ルーヴル美術館展(17世紀ヨーロッパ絵画)』
7/28~10/18 広島県立美術館
            『国立トレチャコフ美術館展(忘れえぬロシア)』

広島でのデートについて満足したことは既に書いた。

ルーヴル美術館の子どもたちについては家内ともども招待状を頂いていたので9月に入ってから会いに出かけていった。
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デートするのに贅沢な文句を言うのも気が引けるのだが、できることなら静かな落ち着いた状況の中で会いたいものである。

そのため止むを得ない場合以外、土曜・日曜・祭日、それに夏休みなどの休日に美術館を訪れることはない。

国立国際美術館にはルーヴル美術館から沢山の子どもたちが来ていた。

彼らは紀元前3000年のエジプト、そしてギリシャやローマの時代を経て18世紀頃までのヨーロッパや近東からやってきて彫刻や絵画となって並んでいた。

下はルーベンスの習作を部分拡大したもの。
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ペーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul RUBENS『子どもの習作』1620年頃
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※ 2点の拡大原図はいずれも
『ルーヴル美術館展(美の宮殿の子どもたち)』カタログより


黒チョークと白チョークを使っての線描であるが、28×48.1cmという小さな作品であり近付かないと充分見れないので、先ず「かわいい」という印象を受けた。

作品の横には画題や画家の名前などが書かれた小片を貼ってくれてはあるのだが、乱視で老眼(認めたくはないが)のため近付いても判読すらできないのだ。

そのようなことはどうでも良い。

作家は分からなかったのだが、これは「かわゆい」と感じ、しかも子どものポッチャリした肉付きがとても良く線描されていると感心したのである。

しかも、その姿態が実によく観察されていることに驚き見入ってしまった。

美術を専門とする人たちには誰の作品なのかひと目見ただけで分かるのだろうけれど、私は老眼鏡を取り出して小片を見て「ああ、なるほど」と納得したものだ。

どうだろう。赤ちゃんの可愛いからだ、そして、その動作が生き生きと描かれているではないか。まさに今、目の前で寝返りをうっているように。

国立国際美術館にやってきたルーヴルの子どもたちはいずれも素晴らしい子たちであり、これまで子どもたちだけを対象に見るということがなかっただけに、この展覧会企画は実に楽しいものであった。

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『思い立った日が吉日』という俚諺がある。

そして、植木等(うえきひとし・クレージーキャッツ)が歌っていた『スーダラ節』の歌詞に「わかっちゃいるけどやめられない」という一節がある。

事を思い立ったなら直ぐに行動せよと・・・以前に陶淵明の詩について書いたことがある。

(前文省略)
  盛年不重來   盛年 再び来たらず
  一日難再晨   一日 再び晨(明日)成り難し 
  及時當勉勵   時に及びては 當(まさ)に勉励すべし 
  歳月不待人   歳月 人を待たず

しかし、人間というもの「わかっちゃいるけどやめられない」ということが日常茶飯事。

自らは座右の銘として頭にも心にも、頭も心も同じかもしれないが深く刻み込んではいるのだが、ついつい忘れてしまうのである。
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上の写真の左側はヨハネス・フェリメールの『レースを編む女』で、右側の少女の名前はマルガリータ・テレサ(Margarita Teresa de Espana)。スペイン王・フェリペ4世(Felipe IV)の王女であり、神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世の皇后になった女性である。

これは彼女が4歳の時の肖像画であるが、随分昔のルーヴル美術館の日本語版カタログのものだ。 

スペインのプラド美術館には彼女が8歳の時の肖像画が所蔵されているが、どちらもディエゴ・ベラスケス(Diego Rodriguez de Silva y Velazquez)の作品である。

しかし、私は未だ彼女に会ったことがないのである。 ええ加減な記憶ではあるが・・・

ちなみに彼女の父親であるスペイン王・フェリペ4世はベラスケスやルーベンスの良きパトロンであった。

マルガリータ・テレサは21だったか22だったか若くして世を去ったのだが、ヨーロッパで絶大な権力を保持してきたハプスブルク家は王族間の近親結婚を繰り返してきたために若く幼くして亡くなる者が多かった。

彼女の死もそうしたことが原因であったのかもしれない。

今回の京都における『ルーヴル美術館展』で彼女に会いたいと思っていたのだが野暮用に追われて会うことができなかった。

一日難再晨、及時當勉勵、歳月不待人である。

決して彼女のことを忘れていたわけではないのだが、昔々のカタログを眺めて我慢しておくとしよう。

私自身について次回という言葉が許されるなら、パリかマドリッドで会えることを楽しみにしたい。



at 17:13│
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