November 21, 2009
孫?の成長
私は良いのだが誤解を与えてはいけないので先に断っておこう。
これまで何度か書いてきたように、私には息子や娘扱いしている者が沢山いる。
『扱い』と書いたように『実の』ということではなく、つまり法的な意味での実子でも養子でもない。 私が勝手に思い込んでいるだけのことと了解してもらえば良い。
そうした息子や娘が結婚して子どもを授かったならば当然それらの子ども達は私の孫(扱い)となる。
息子達が、或いは娘達がそれぞれに良き伴侶を見つけてくれば息子・娘の数は更に増える。 人間世界のことであるから幾何級数的に増えはしないものの孫の人数も微増している。
下の写真はKちゃん。
昨春結婚したY君Hさんの愛娘で、Kちゃんは4月3日に誕生した。
無事誕生の一報は「15時ちょうどに3462gの女の子でした」というものであり、それからほぼ1ヶ月後に我が家へ来てくれた時の写真である。
私が長く風邪気味であったため、この時が初の対面。 父親・Y君の腕に抱かれ安心して眠っていた。
その後、私たちが北欧旅行から帰ってきたのが6月中旬であったが、帰国してKちゃんを入院させたことを知った。
「ええっ?」という驚きが第一声。 「うーん」、後は何とも言えず。
誕生後わずか1ヶ月少しで・・・
まだまだ授乳期の始め、母親・Hさんも入院状態に。
Kちゃんが入院することになったのは強い引きつけが何度かあったことで医師が判断したようだが、急激に発育を開始し始めた乳幼児に対する診断は難しいものである。
大人の場合は自覚症状について医師に口上出来るし、医師の方でも問診、触診だけで病について凡その推量をする事が可能である。
血液、尿、便などのほか、機器による検査も大人の場合は比較的容易であるが乳幼児の場合は検査を行うにも難しい面がある。 また、検査結果に基づいた診断も決して簡単に断定できるようなものでもない。
他の学問分野でもそうであるが、医学分野でも専門分野が細かく分かれる。
内科、外科などといった分野でも更に細かく分かれ、医師も循環器系を専門とする内科医もいれば消化器系を専門とする内科医もいる。
科学の進歩は目覚しく、医学生理学などの分野でも分子レベルの研究が広がり、そのことによって治療可能な症例の分野も数も増え、これはこれで歓迎されることである。
が、研究と臨床が細分化専門化することは特定の病気治療を求める患者にとってはプラスである反面、医師・病院が特定され、遠地で患者が集中し、そのために様々な不都合が生じることもある。
いずれの親にとっても子どもは宝物であり、子どもの健やかな成長を阻害する要因があればそれを除去しようとするのは当然であり、子どもに病気が発見されればそれに対して現代医学における最高最良の治療を行わせようとするのも至極当然のことである。
Y君とHさんは愛娘Kちゃんの症状と治療法について自分たちでも調べ、小児科の主治医と相談の上、他県の病院で検査と治療を受けるため転院した。
上の写真も下の2枚も転院先の病院での写真である。
家族以外の病室への入室が制限されているため、Y君が時々Kちゃんの成長の様子を写真で知らせてくれるのである。
転院先の病院でも当然HさんはKちゃんに付きっ切りであり、仕事を辞めるわけにはいかないY君は週末に泊りがけで病院を訪れるという生活を余儀なくされているのである。
包丁を持って調理などしたことがないという、あまり名誉でもない逸話を持つY君だが、そのY君がKちゃんにはメロメロで毎日午後7時には家に帰ってKちゃんを風呂に入れていた。
そんなことが出来るのかと話を聞いた時には誰もが信じられない思いであったが、最初の入院先でもそれは続けていたようである。
下は初めて離乳食の野菜スープを口にした時のもの。
しかし自宅から車で30分以内で訪れることのできる病院ならばこそのことで、新幹線を利用したとしても3時間もかかる病院では仕事を終えてからその日の内に往復するなどということは出来ない。
毎日でもKちゃんと接していたいという気持ちではいるのだろうけど、土曜日の仕事を終えて病院へ行き、日曜日には明くる日の仕事のために自宅へ帰ってきている。
病院はホテルではないし、2人部屋の病室ゆえKちゃんと他の子どもがいる部屋では横になることも出来ないであろう。
窮屈な病院のソファで仮眠をして帰ってくるのであろうか。 1週間に一度とは言え新幹線の往復では経済的にも厳しかろう。 往復を自動車移動にしているそうだが、帰路、日曜日の道路渋滞はひどくて5時間もかかるらしい。
一方、病院で付きっ切りになっているHさんも外へ出ることが出来ず、Kちゃんへの思いも含めて精神的には大変な心労を重ねていることと思う。
しかし、子どもを産み育てるということは端から大変なことなのであり、親は子どもが自立するまで、その養育についての責任を免れることはない。
その過程において苦労や苦難は大きさや時期こそ違え、いずれの親子にもあるもので乗り越えていかねばならないものである。
子育ては広義に社会的な観点に立てば「社会の子」「国家の子」として位置づけ、その育成にあたって社会、国家が担うべき役割も大きいものがある。が、第一次的には如何なる困難があろうとも親がその責任を担うのは当然のことであると私は考えている。
そうした意味において現象的には親失格、もっと厳しく言えば親になる資格の無い者すらいると思えることが現代社会に見られるが、これはとても残念で悲しいことである。
ともあれ現在Kちゃんの状態は安定してきているようなので嬉しく思っている。
一日も早くY君の家族に平穏な日々が訪れることを願って止まない。
これまで何度か書いてきたように、私には息子や娘扱いしている者が沢山いる。
『扱い』と書いたように『実の』ということではなく、つまり法的な意味での実子でも養子でもない。 私が勝手に思い込んでいるだけのことと了解してもらえば良い。
そうした息子や娘が結婚して子どもを授かったならば当然それらの子ども達は私の孫(扱い)となる。
息子達が、或いは娘達がそれぞれに良き伴侶を見つけてくれば息子・娘の数は更に増える。 人間世界のことであるから幾何級数的に増えはしないものの孫の人数も微増している。
下の写真はKちゃん。
昨春結婚したY君Hさんの愛娘で、Kちゃんは4月3日に誕生した。
無事誕生の一報は「15時ちょうどに3462gの女の子でした」というものであり、それからほぼ1ヶ月後に我が家へ来てくれた時の写真である。
私が長く風邪気味であったため、この時が初の対面。 父親・Y君の腕に抱かれ安心して眠っていた。
その後、私たちが北欧旅行から帰ってきたのが6月中旬であったが、帰国してKちゃんを入院させたことを知った。
「ええっ?」という驚きが第一声。 「うーん」、後は何とも言えず。
誕生後わずか1ヶ月少しで・・・
まだまだ授乳期の始め、母親・Hさんも入院状態に。
Kちゃんが入院することになったのは強い引きつけが何度かあったことで医師が判断したようだが、急激に発育を開始し始めた乳幼児に対する診断は難しいものである。
大人の場合は自覚症状について医師に口上出来るし、医師の方でも問診、触診だけで病について凡その推量をする事が可能である。
血液、尿、便などのほか、機器による検査も大人の場合は比較的容易であるが乳幼児の場合は検査を行うにも難しい面がある。 また、検査結果に基づいた診断も決して簡単に断定できるようなものでもない。
他の学問分野でもそうであるが、医学分野でも専門分野が細かく分かれる。
内科、外科などといった分野でも更に細かく分かれ、医師も循環器系を専門とする内科医もいれば消化器系を専門とする内科医もいる。
科学の進歩は目覚しく、医学生理学などの分野でも分子レベルの研究が広がり、そのことによって治療可能な症例の分野も数も増え、これはこれで歓迎されることである。
が、研究と臨床が細分化専門化することは特定の病気治療を求める患者にとってはプラスである反面、医師・病院が特定され、遠地で患者が集中し、そのために様々な不都合が生じることもある。
いずれの親にとっても子どもは宝物であり、子どもの健やかな成長を阻害する要因があればそれを除去しようとするのは当然であり、子どもに病気が発見されればそれに対して現代医学における最高最良の治療を行わせようとするのも至極当然のことである。
Y君とHさんは愛娘Kちゃんの症状と治療法について自分たちでも調べ、小児科の主治医と相談の上、他県の病院で検査と治療を受けるため転院した。
上の写真も下の2枚も転院先の病院での写真である。
家族以外の病室への入室が制限されているため、Y君が時々Kちゃんの成長の様子を写真で知らせてくれるのである。
転院先の病院でも当然HさんはKちゃんに付きっ切りであり、仕事を辞めるわけにはいかないY君は週末に泊りがけで病院を訪れるという生活を余儀なくされているのである。
包丁を持って調理などしたことがないという、あまり名誉でもない逸話を持つY君だが、そのY君がKちゃんにはメロメロで毎日午後7時には家に帰ってKちゃんを風呂に入れていた。
そんなことが出来るのかと話を聞いた時には誰もが信じられない思いであったが、最初の入院先でもそれは続けていたようである。
下は初めて離乳食の野菜スープを口にした時のもの。
しかし自宅から車で30分以内で訪れることのできる病院ならばこそのことで、新幹線を利用したとしても3時間もかかる病院では仕事を終えてからその日の内に往復するなどということは出来ない。
毎日でもKちゃんと接していたいという気持ちではいるのだろうけど、土曜日の仕事を終えて病院へ行き、日曜日には明くる日の仕事のために自宅へ帰ってきている。
病院はホテルではないし、2人部屋の病室ゆえKちゃんと他の子どもがいる部屋では横になることも出来ないであろう。
窮屈な病院のソファで仮眠をして帰ってくるのであろうか。 1週間に一度とは言え新幹線の往復では経済的にも厳しかろう。 往復を自動車移動にしているそうだが、帰路、日曜日の道路渋滞はひどくて5時間もかかるらしい。
一方、病院で付きっ切りになっているHさんも外へ出ることが出来ず、Kちゃんへの思いも含めて精神的には大変な心労を重ねていることと思う。
しかし、子どもを産み育てるということは端から大変なことなのであり、親は子どもが自立するまで、その養育についての責任を免れることはない。
その過程において苦労や苦難は大きさや時期こそ違え、いずれの親子にもあるもので乗り越えていかねばならないものである。
子育ては広義に社会的な観点に立てば「社会の子」「国家の子」として位置づけ、その育成にあたって社会、国家が担うべき役割も大きいものがある。が、第一次的には如何なる困難があろうとも親がその責任を担うのは当然のことであると私は考えている。
そうした意味において現象的には親失格、もっと厳しく言えば親になる資格の無い者すらいると思えることが現代社会に見られるが、これはとても残念で悲しいことである。
ともあれ現在Kちゃんの状態は安定してきているようなので嬉しく思っている。
一日も早くY君の家族に平穏な日々が訪れることを願って止まない。
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