December 28, 2009

博多・住吉神社

11月30日の早朝、小雨が降る中を散歩に出かけた。

神社には6時前に着いたが、夜が長い時期の上に分厚い雨雲が空一面を覆っているし境内が森のような中にあるので真っ暗な中、所々にある灯りを頼りの参詣となった。

下は神社境内図とともに掲示してあったものだが、神社に伝わる古図をもとに作成されたものだという。
70a2431d.jpg

古図は鎌倉時代に描かれたものを江戸時代に筆写したものだと記してあったが、南北逆さなので修正拡大して表示してみる。
6ad3fe3f.jpg

上図左上の荒戸山は現在の西公園のあたり。砂洲が延びている長浜はほぼ現在の長浜と考えても良さそう。草香江は博多湾の入り江であり、冷泉津は那珂川や比恵川の水が流れ込んでいる。

福岡城は半島のように突き出した平尾村(現在の南公園あたり)の少し北に位置し、大濠公園は草香江の名残りと言える。

現在の天神や中洲は完全に冷泉津の水底にあったわけだ。

そして肝心の住吉神社は冷泉津と書かれたあたりの森がそうであり、祠を設けた頃は海に面していたのであろう。

住吉というのは元々「すみのえ」、つまり水が澄んだ入り江という意味であったから冷泉津はきれいな海水の入り江であったと想像できる。

下は西門からの参道を通して神門と本殿を眺めたもの。
4806b3e4.jpg

現在、大阪の住吉大社が日本全国2300社の総本宮になっており、日本三大住吉神社として大阪の住吉大社、博多の住吉神社、下関の住吉神社が挙げられている。

住吉神社の主祭神は底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神であるが、博多の住吉神社は住吉三神に加えて天照皇大神と神功皇后(息長帯姫命)も祭祀している。

西門からの参道を更に進むんだところである。
0696776e.jpg

大阪では住吉大社のことを「すみよしさん」、天満宮を「てんじんさん」と呼ぶが、天神さんは学問の神さんで「住吉さん」は海の神さんで航海安全の守り神から広くお守りの神さんとして知られている。

古事記や日本書紀によれば、妻である伊邪那美命 (いざなみのみこと)が火神の出産で亡くなり、彼女を追って黄泉の国に行った伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)は死者の国から妻を連れ戻すことが出来ずに帰ってくるのだが、その穢れを払い清めるために海に浸かって「禊祓い(みそぎはらえ)」を行った。

その時に伊邪那岐命が身に付けていた物や彼の垢などが神となったが、底で清めたのが底津綿津見神(ソコツワタツミの神)・底筒男命(ソコツツノオのみこと)、中で清めたのが仲津綿津見神(ナカツワタツミの神)・中筒男命(ナカツツノオのみこと)、表面で清めたのが表津綿津見神(ウハツワタツミ神)・表筒男命(ウハツツノオのみこと)であった。

この神産みでは左目がアマテラス、右目がツクヨミ、鼻がスサノオであった。

下の写真は『神門』。
bbc43a7c.jpg

綿津見(ワタツミ)三神と住吉(筒男命)三神とは同じ神であったらしいが、九州と近畿に分かれることになったらしい。

以前に志賀島について書いた時に綿津見三神を祀る志賀海神社についても書いたが、志賀海神社の祭神は残り組みだったようだ。

綿津見は「ワタツミ」とも「ワダツミ」とも読み、「海神」とも書くように、住吉三神と同様に海の神である。

『神門』をくぐって振り返ると菊の紋章入りの赤い提灯。
5a0f9172.jpg

『神門』前の石標に「皇族下乗」と刻んであったから昔は皇族か勅使の参詣があったのだろう。

延喜式神名帳では式内社(名神大)と記載され、戦前までは筑前国一宮・官幣小社となっている。

大阪の住吉大社も同じ式内社(名神大)であるが、戦前までは摂津国一宮・官幣大社となり、神社の格式、国の待遇は博多の住吉神社よりも良かった。

博多の住吉神社は「住吉本社」とか「日本第一住吉宮」と書かれたりしているそうだが、神功皇后の新羅討伐の祈願ということを考え合わせれば最終の渡海となる対馬・朝鮮海峡を前にして当神社でも祈願を行ったとするのが妥当であり、大阪であれ博多であれ下関であれ、どこが第一であれ社格がどうであれ余り意味の無いことのように思うが喧しい輩はどこにでもいるもの。

だいたい明治期以降戦前までの官幣社とは何やねん、と、またまた横道に逸れそうな気がするのでココまで。

神様は神様として崇敬するし、住吉三神ならどこも同じ神、と、私は思うが・・・。

下は博多・住吉神社の本殿。
459f91fb.jpg

まだ暗いうちの小雨の中での撮影だったため明瞭ではないが、「住吉造」という特殊な建築様式らしく、1623年(元和九年)に福岡藩主・黒田長政の寄進によって建てられたもので国の重要文化財に指定されている。
ac9e2077.jpg

下は神社の西門である。
1e8e48e4.jpg

午前7時を過ぎてもこの明るさであった。

熱心な参拝者はいるもので、私が本殿に参拝する前に1人。その後、西門を出るまでに5人であった。

住吉さんについてはこの辺で。


at 10:14│
記事検索
月別アーカイブ