December 29, 2009

宮地嶽神社

博多の東方JR福間駅から北2kmばかりの所に宮地嶽神社がある。

以前より宗像大社を訪ねてみたいと思っていたので、宮地嶽神社に立ち寄ってから行ってみようと冬晴れとなった12月2日の朝に中洲のホテルを出発した。

博多駅まで歩き、JR福間駅で下車。神社まではバスでと思っていたのだが本数少なく、歩いてもとも考えたのだが移動に時間を使いたくなかったのでタクシーを利用した。

地図では2km程度なのだが知らない土地ゆえに随分の距離があったように感じた。
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上はバス停のある道路から続く参道で、道の両側には土産物店が並んでいたが平日の朝だったからなのか閉まっている店もあり商売繁盛の神様の門前にしては裏寂れた感じを受けた。

九州では最多の参詣者を集めるのが太宰府の天満宮で、この宮地嶽神社が2番らしい。

太宰府の天満宮は梅が枝餅が有名だが、ここの土産物店では松ヶ枝餅を売っていた。何となく天満宮の梅が枝餅に対抗してというように受け止めてしまったが、実の所の謂れは知らない。

バスで来たならば正面の鳥居の階段を上らねばならなかったところなのだが、タクシーで来たので神社の楼門横まで乗せてもらった。

写真は帰路に撮ったもので、タクシー利用は大助かりであったというわけ。
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上の写真で分かる通り随分の高さまで階段が続いていたのである。

参道は真っ直ぐ玄界灘の宮地浜に続き、木々の間を吹く風が清々しかった。

参道は階段を上りきったところから更に続く。

石の鳥居の向こうに見えるのが宮地嶽である。
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下は楼門で、その右手に大鈴堂、写真撮影場所の右手に大太鼓堂がある。
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宮地嶽神社には3つの日本一があるとタクシーの運転手が語っていたが、1つ目が日本一の大注連縄、2つ目が日本一の大太鼓、3つ目が日本一の大鈴だそうな。

大注連縄については出雲大社の注連縄も太く大きいので、これは日本一と言われてもピンとこなかった。

大太鼓は直径2.2mと確かに大きいが、太鼓の演奏家集団が用いる太鼓も相当に大きく私には大小区別をつけ難いと思った。

大鈴は日本一であると言われれば、そうかなあと納得するようなしないような、比較する物が思い浮かばないので結論はワカランと言う以外にない。

が、別にどうでもええことやないかと、私にはその程度にしか感じられなかったが、日本一であるということに意味を感じる人にとっては何らかのプラスになるのかもしれない。
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楼門の左右には夫々右近衛大将(うこんえのだいしょう)・左近衛大将(さこんえのだいしょう)が鎮座し、背後の本殿を守護していた。
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上の写真は左近衛大将(本殿に向かう者の位置からは右手に見える)。

下が宮地嶽神社の本殿。
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宮地嶽神社の祭神は息長足比売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)と勝村大神(かつむらのおおかみ)、勝頼大神(かつよりのおおかみ)の三神という。

神社の由緒書によれば、創建は約1600年前。三韓征伐の折、この地に滞在した神功皇后が宮地嶽山頂に祭壇を設け、天神地祇=天つ神・国つ神=八百万の神々を祀り、船出の無事と武運を祈願して出兵したと書かれている。

この神功皇后の新羅討伐に随従した勝村・勝頼大神を合わせて宮地嶽三柱大神として祀っているということである。

勝村・勝頼大神は三韓征討の後に帰還してこの地をもらったというが、この二柱の神について私は知らない。

下が本殿に吊るされた日本一と言われる大注連縄である。
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注連縄というのは神道において神の坐す所を表わすもので、言い換えれば神の世界と人間の世界の境を示すものであり、仏教など他の宗教でも見られる結界と同様の意味を持つものである。

この宮地嶽神社の注連縄は出雲大社と同様に真ん中が極太に綯われたものであり、大阪の一般家庭で用いる注連飾りと同じ形をしている。

大阪で家の入口に飾る注連飾りは注連縄にウラジロ、それに紙垂(しで)を下げ、ダイダイを付けたものが中心であり、これには年神様をお迎えするという意味での神域を表すことと、厄や禍を寄せ付けずに禊払えの意味を持たせることもあり、いずれも結界という意味では共通している。

使われている注連縄の多くは、ほぼ同じ太さの細長いものを用いておりワラか紙の紙垂を付けている。

注連縄のことを書いていたら、榊の枝を取り、紙垂を作るために奉書紙や半紙などを切って玉串をよく作らされたことを思い出した。

随分古い昔のことだが、今でも紙垂を断つことが出来るのは『三つ子の魂百まで』というものだろうか。

at 10:06│
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