December 31, 2009

宗像大社 【1】

宗像大社のように全国には大社と称される神社がある。

大社というのは905年(延喜5年)に編纂が開始され927年(延長5年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十の神名帳に記された官社(式内社=神社)のことで、その1等の格を表わしている。中でも特に霊験あらたかな神を祀る神社を名神社と称する。

宗像大社は神名帳に式内社(名神大社)と記されている。

宮地嶽神社の参拝を終えて西鉄バスでJR福間駅に行き、普通電車で赤間駅に向かった。JR福間駅と赤間駅の間には東福間、東郷の2駅がある。

東郷駅から宗像大社まで西鉄バスが運行しているが、発車時刻と私の行動が合わないので又々タクシーを利用したが結構距離があるので、この選択も正しかったと思う。
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宗像大社の祭神は宗像三神(三女神とも)と称される田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)である。

田心姫神は宗像の神湊(こうのみなと)の沖合い約57kmに位置する沖ノ島の沖津宮(おきつみや)に、湍津姫神は神湊から約7kmの大島の中津宮(なかつみや)に、そして市杵島姫神は宗像大社の辺津宮(へつみや)に祀られ、宗像大社というのは、この3社の総称である。

上は日本書紀に記載されている名前だが、古事記では沖津宮に多紀理毘売命(たぎりびめのみこと=奥津島比売命(おきつしまひめのみこと))を、中津宮に市寸島比売命(いちきしまひめ=狭依毘売(さよりひめ))を、辺津宮に多岐都比売命(たぎつひめ)を祀っていることになっており、宮と神名に違いがあるのだが何故なのかは分からない。
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上の楼門を入った正面の建物が1590年に小早川隆景が寄進した国の重要文化財である拝殿(切妻造妻入・杮葺き)で、その奥の本殿は宗像大宮司・宗像氏貞が1578年(天正18年)に建立したもので朱塗りの五間社流造り杮葺きという建築で同じく国の重要文化財に指定されている。

宗像三神(三女神)はアマテラスとスサノオの誓約において、アマテラスがスサノオの十拳剣を譲り受けて生んだとされており、スサノオの物実から化生したために記紀神話ではスサノオの子になっている。

また天照大神が宗像三女神に対して「宗像と朝鮮を結ぶ海の道において、天皇を助け、その祭祀を受けよ」と命じたことにより福岡県鞍手郡鞍手町の六ヶ岳に降臨し胸形氏(平安期以降に宗像を名乗るようになったのだとか)らに祀られるようになったらしい。
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上の写真は朱塗りの本殿に掲げられた額であるが、「汝三神、道の中に降り居まして天孫を助け奉りて、天孫の為に祭られよ」前述の天照大神の神勅(日本書紀)が書かれている。

以前に大分県の宇佐神宮の祭神について書いたが、一の御殿に応神天皇、二の御殿に比売大神、三の御殿に神功皇后と三神(八幡三神)が祀られていることを書いたが、この中の比売大神が宗像三女神であることも書いておいた。
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本殿の全景が上の写真。

九州北部は早くから朝鮮半島との行き来によって文化全般の交流が行われていたことは考古学的研究によって明らかにされて来きている。

宗像地方から大島、沖ノ島、壱岐、対馬、そして朝鮮半島へと海の道が連なっており、それぞれに文化交流があったことを示す物品が数多く出土している。

とりわけ胸形氏が祭儀を行っていた沖ノ島では朝鮮、中国からペルシャの物まで発見されており、『海の正倉院』として宗像地域と海上の島嶼を一帯とした世界遺産登録への活動が本格化している。
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上の写真は本殿と拝殿をコの字型に囲むように祀られている摂社の数々。

神功皇后の三韓征伐において九州北部勢力が密接に関わったことは疑う余地のないところであり、海上交通の技術に長けた胸形一族と大和朝廷が密接につながっていたことも容易に想像できる。

宗像三女神が宇佐神宮の祭神となっていることや、広島県・宮島の厳島神社の祭神も宗像三女神であることを考え合わせれば、九州北部の豪族たちが瀬戸内海を通して大和朝廷と強力な関係を築いていたことも充分理解できる。

上の摂社が並ぶ端に高宮と第二宮、第三宮へ参拝する潜り門(下)がある。
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この門を出て木々が茂る道を少し歩くと第二宮・第三宮へ向かう道と高宮へ進む道が交差するところに出る。

ここから高宮へ行くには樹木に覆われた山坂道をしばらく上らねばならないが、他に人もいずに静かな道を歩むのは実に気持ちがいいものであった。

途中、下の写真のような石段があったりしたが、参拝道は舗装されてはいないけれど、きちんと整備はされていた。
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坂道を15分~20分ほど上ったろうか。

小さな山の頂のようなところに出た。

何かの建物が建てられていたかのように、低く積まれた石で囲われた所だけ草や木が刈り取られ、上ってきた山道から石段を数段上ったその場所とは木柵で仕切られていた。
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宗像大社の記録では『第一神始めて降臨有し、辺津宮の旧址といふ、神代より天應元年(781)まではここに惣社の御座あり、旧社に社を立て下高宮といふ』と、宗像大神降臨の伝承地である宗像山・高宮を神奈備山・神奈備の杜と崇めてきたとしている。

記紀神話における高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)・天照大神の命を受けて瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が国土統一のために高天原から日向の国・高千穂の峰に降り、木花之開耶姫(このはなさくやひめ=大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘)を娶ったという天孫降臨と同様に神代には降臨神話が幾つかある。

信ずるかどうかは別にして、日本人の神祇観を知る上で興味深いことである。

高宮から下ったところにある第二宮(手前)と第三宮である。

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第二宮には沖ノ島・沖津宮の田心姫神(たごりひめのかみ)を、第三宮には大島・中津宮の湍津姫神(たぎつひめのかみ)の御分霊を祀っているのだと。

だから、宗像大社に参って第二宮・第三宮と参れば宗像三神の全てを参拝したことになるのである。

が、タクシーの運転手との話の中で、中津宮が祀られている大島へはフェリーが運航しており、これからなら13時55分に神湊発(日に7往復)のに間に合うということを思い出し、「 伝宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品 」約8万点(全て国宝)を蔵し展示している境内の神宝館を見学するか迷った挙句、電話でタクシーを呼んで神湊へ走ることにした。

大島までフェリーの所要25分。従って大島着が14時20分。大島を出航して神湊へ戻る船の出船時刻が16時20分と18時の2本しかないが、大島を巡っても何とか帰ってくることが出来るであろうと判断したのだ。


at 04:48│
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