January 28, 2010

タイの遺跡を訪ねる (8) パノム・ルン遺跡 【?】 

聖域である天上界の中心の塔である。

前のページで書いたように、パノム・ルンは須弥山を中心に展開されているヒンドゥー教の宇宙観によってシヴァ神が住むヒマラヤのカイラス山に見立てて建てられたものであり、この聖域な場が天界を示し、地上界との接点とも言える場所とも考えられていたのである。

そのために天上界と地上界を結ぶ長い参道と、地上界の悪や穢れを祓うために第一ステップとしてのナガラ・ブリッジ、更に第二ステップのナガラ・ブリッジを設けて聖なる天上界への道としたのではないかと私は思った。
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上は内陣の中心となる祠堂と高塔である。

高塔の入口部分には彫刻された衛兵が立っている。
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中央の祠堂の中にはシヴァ神の表象である石造のリンガが立っている。
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リンガというのは男根像を指すが、ピマーイ遺跡の項でも書いたように日本の金精様の像(青森・岩手・秋田で見た石や木を男根に似せて彫ったもの)とは異なる。

下はリンガの直ぐ横に掘られた穴であり女陰を思わせる。
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この四角い穴から塔の外部に向かって穿孔があり、塔の外部に聖水が流れ出るような説明があったが詳しくは分からない。

シヴァ神は破壊と再生の神であることから類推すれば、この場で水を用いた何らかの儀式が行われ、その水が女陰に似せた四角い穴より穿孔を伝って高塔の外に流れ出る、そのことによって再生を意味していると考えられていたのかもしれない。

また、祠堂内にはシヴァ神の乗り物である聖牛・ナンディンの腹ばいになってリンガの立つ部屋をじっと見詰めている像もあった。

このパノム・ルンの建物全体が、全てヒンドゥー教の宗教遺跡であることがあらゆる面で分かるのである。

中央の祠堂の破風(gable・切り妻)や、まぐさ石(lintel・横石)など、あらゆる場所にヒンドゥー教に関わる彫りものが施されていることからも分かる。
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上は、その中央祠堂の入口であり、破風を拡大したのが下の写真である。
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『踊るシヴァ神・Dancing Shiva』(上)である。

下は、『横たわるヴィシュヌ神・Reclining Vishnu』である。

ヒンドゥー教におけるヴィシュヌ神は創造神であり、ヴィシュヌ神が横たわっている蛇は体が長く、顔は龍のような狼のような・・・見たこともないような姿形であることから、アナンタ(無限者)と呼ばれる、まだ形を与えられていない原初の蛇であろうと推測する。
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このまぐさ石(lintel・横石)の彫刻はタイ人が全く偶然にアメリカ・シカゴ(だったと思うが)の博物館で発見し、そのことが起因となって返還交渉が行われ、それがやがて国民的運動にまで発展して返還されたというものである。

返還という望ましい行為の裏にタイ・アメリカ合衆国間の政治・軍事関係があったことは想像に難くない。とりわけアメリカ側にはベトナムへの侵略戦争の基地としてナコンラチャシーマ(コラート)などで基地提供を受けていたこともあるし、経緯がどうであったにせよ現実にタイの歴史文化財の一部が盗られてアメリカで展示されていたのだから返還はむしろ当然のことでもあったわけだ。

下は『ラーヴァナがシータを捕える・Ravana capturing Sita』場面を彫ったものである。

馬車に乗っているのがラーヴァナであり20本の腕が見える。
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ヒンドゥー教のラーマーヤナはダシャラタ王の長男・ラーマ王子(主人公)を語る大叙事詩であり、ラーヴァナは10の頭と20本の腕を持つランカー王国の悪魔王、シータはジャナカ王の娘でラーマ王子の妃である。

これら破風(切り妻)やリンテルは極々一部の例であり、シヴァ神は勿論、ヒンドゥー教に関わる重要な神々の彫り物が随所に見られるのである。

ところで遺跡が完全な形で残っていることは少ない。

自然災害により水没、埋没、破壊といったことのほか、時の権力の衰退、滅亡、支配の支柱となっていたことの転換による放棄など様々な理由が考えられるが、そうしたことなどのほかに盗掘といった類いのことまであり、歴史的文化財が遺跡の場所から盗み去られることも多い。

世界的なレベルで言えばイギリスやドイツなどは盗掘の首領格である。などと言えばイギリスやドイツの人たちは頭から湯気を立てるほどに怒るかもしれないが、大英博物館にしろドイツの博物館島にしろ、収蔵されている考古学的史料は他国において発掘して持ち帰った物が相当部分を占めていることを彼らは知っているはずである。

勿論、彼らのための弁明として、発掘、保存、管理といったことが真っ当に出来ないという環境条件にあった時代、地域であったために、その研究を目的とした行為であったという理由は成り立つ。が、現代においても同じ理由が当てはまるかと言えば、世界の多くの人々の答えはNOであろう。
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上はパノム・ルン遺跡からの景色であり、平原の遥かかなたまで望める。

先の歴史的文化財の盗掘であるが、今回のタイの遺跡巡りでも外国人が絡むことが随分多くあったのだという確信めいたものを感じた。

松本清張の『熱い絹』だったかな?ジム・トンプソン失踪について書いてあったのは。

ジム・トンプソンという名前を聞けば多くの人はタイ・シルクを思い浮かべるものと想像するし、現にタイ・シルクの最高級ブランドとして世界中に知られ、タイ土産としては価値の高い値段も当然高い品物である。私は買わないし買えないが・・・。

タイ・シルクの良さを世界に知らしめた実業家である彼(James Harrison Wilson Thompson)に盗掘という言葉を用いるのは適当でないが、彼のタイでの足跡やクメール文化、仏教文化などに関わる知識と蒐集の実績などを併わせ考えると、直接盗掘してなくとも盗掘とそれに関わる売買に絡んでいたのではないだろうかと・・・

下種の勘繰りと言われても仕方がないが、彼がCIAの諜報員であったという事実と彼の失踪という不思議な出来事を併せ考えて思い浮かべてしまったことなのだが真実のところは誰にも分からない。

大平原の素晴らしい景色を眺めながら突飛なことを考えていたものである。




at 17:23│
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