January 30, 2010

タイの遺跡を訪ねる (10) ムアン・タム遺跡 【?】  

聖域である中央塔が建ち並ぶ中へ入ってみると、それぞれの塔が宗教儀式の祠堂としての役割を果たしていたようである。

出入り口はあるのだが、内部でどのような儀式が行われていたのか推測できるような遺物は無かった。

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下は前ページ、神殿平面図の中西門(内陣側から見た)であるが、屋根を構成する石組みは残っているが屋根そのものは既に無い。

大きい石枠の窓が並んでいることで内陣を回廊(ギャラリー)が囲んでいることが分かる。

以前にも書いたが、回廊の内部は通路になっており、その幅は目測であるが1m程度、もう少しあっても2mはない程度の幅の廊下が続いている。
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建物の破風やリンテルには細かな彫刻が遺されている。

風雨にさらされてはいるが保存が極端に悪いわけではなく、建物などの所々に周囲の石材とは明らかに色の異なるものが据えられており、保存のための修理が行われたことが分かる。

下の祠堂の場合はリンテルを支えるための左右の柱のうち、左側は欠落し、右の柱の上部の白い部分は補足したものであろう。

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上のリンテルはカーラに乗った神かと思っていたのだが、カタログには『Human seated Kola』と書かれていた。

多分、『Kola』は『Kala』の間違いだと思うのだが私には分からない。

下の写真は『Varuna on Hamsa』とカタログの註。

ハンサに乗るヴァルナ神ということだが、ハンサはヴァルナ神の乗り物で白鳥やガンのような水鳥のこと。
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ヴァルナ神は天空の司法神と言われているが、仏教に混じってからは西の方角を守護する水の神とされている。

下のリンテルは『Shiva and Uma on Nandin』。

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聖牛ナンディンに乗るシヴァ神と妃・ウマである。

いずれのリンテルも妙な顔をしたカーラ(Kala)の上部に彫られているが、カーラというのは大変に貪欲、食欲旺盛であり、とうとう自分の手足や体まで食い尽くして顔だけになったと言われる怪物で祠堂を守る鬼神とされているケッタイな奴である。

カーラには時間という意味もあり、後に死神とも言われ地獄の主神・閻魔であるとされている。

と言うことなので「ケッタイな奴」という表現は取り消しにしておく。

下の写真は聖域の中心である内陣の四方に掘られたL字形の池から内陣を眺めたものである。
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池の欄干はナーガの体で構成されている。

このナーガは3匹で頭が3つ見えているが、5匹のところもあったし、7匹の場合もあった。いずれも奇数であり1匹の頭が開いた扇のテッペンになるように組まれているが、なぜ奇数になっているのか疑問に思ったが尋ねずに帰ってきてしまった。

これはちょっと残念なこと。
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池の周辺を撮影してみたが、もっとゆっくり時間を取っても良いと思ったムアン・タム遺跡であった。
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池を四方に掘って水を貯めているのは美的な意味を持たせていたこともあっただろうし、何らかの宗教的儀式に水が必要であったということもあるだろうが、やはり1年のうち半分までが乾季であるという乾燥気候の土地にあって農耕に必要な水を確保することは、その土地を支配する上での第一番の必須条件であったことによるのであろう。

at 11:23│
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