May 24, 2010

タイの遺跡を訪ねる (21) スコータイ歴史公園 【2】

さて、下はワット・シー・サワイ(Wat Sri Sawai)の写真である。
この寺院はワット・マハタートの南西に位置してはいるが城壁内にある。
s-タイ遺跡旅行(2)256
以前に写真で紹介したピマーイやパノム・ルン遺跡と同じような塔が3つ並んで建てられており、一見してクメール様式の塔(プラーン)であることが分かる。

ヒンドゥー教の3主要神について以前にも書いているが、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神の3神を表象する塔であり、こうした形状はアユタヤ時代に栄えたロッブリーの町にあるプラ・プラーン・サム・ヨートとも類似することからロッブリー様式とも呼ばれている。
柱はラテライトのブロックを積み重ねてあるが、塔や基壇には紅い土のレンガで組まれ、表面を漆くいで塗り固める方法が用いられていたようだ。

s-タイ遺跡旅行(2)257

上座部仏教が取り入れられたスコータイ王朝であるが、それ以前にはクメール王朝の支配を受けてヒンドゥー教の教えが民衆の思想基盤になっており、寺院も当然ヒンドゥー寺院であった。
しかし、クメール王朝にあってもジャヤーバルマンは当初ヒンドゥー教を信仰していたが、後に仏教に帰依して国中を仏教に変え、ヒンドゥー寺院が仏教寺院に変わってもいった。ところが、その後の王の時代になって再びヒンドゥー教に戻していったとも聞いている。
タイにあってもクメール王国に支配されていた時期にはヒンドゥー教が広く信仰されていたが、スコータイ王朝となって上座部仏教が取り入れられてからは仏教信仰が人々の世界観や思想を形成する重要な役割を果たすようになり、自然、信仰の場としての寺院もヒンドゥー教から仏教へと変わっていった。

s-タイ遺跡旅行(2)260
そうした歴史を振り返り見れば、ヒンドゥー教寺院と仏教寺院が大切な王宮寺院であるワット・マハタートの直ぐ近くに存することも納得できることである。

が、今ひとつ、宗教というものが他宗を排するという歴史、いや、現実にキリスト教とイスラム教の対立という状況が政治的に密接に繋がり、主に中東地域で人々の生命の安全を脅かしているという現状を思うと、ヒンドゥー教と仏教の融和(私の理解)が大きい問題にならないで時代が進んだことは良かったと思うのである。当時の支配者の意図などは無視することとして。
s-タイ遺跡旅行(2)258
上の写真と下の写真は塔の部分を拡大したものであるが、ナーガやガルーダが彫刻されていることから、ヒンドゥー教の祠堂であることが分かる。
下の写真の5体のうち、両端はナーガであり、真ん中は羽を広げてヘビを足で捕まえているガルーダである。

s-コピー ~ タイ遺跡旅行(2)259
ガルーダの両隣についてはよく分からないが、その服装が古代のインド風のものであることからヒンドゥーの神々に関わるものかと思う。









masatukamoto at 06:46│Comments(0)TrackBack(0)

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