May 28, 2010

タイの遺跡を訪ねる (24) ロッブリー

スコータイ遺跡の見学を終え、アユタヤ遺跡見学のためにヨム川に沿った道路を南へ向かって走った。
以前にも書いたが、タイは鉄道交通よりも自動車交通の方が盛んであり、いずれへ行くにしても幹線道路が整備されているので車の便が良い。
スコータイからアユタヤまでは約400kmばかり、スコータイからロッブリーまではおよそ300kmの距離である。
s-タイ遺跡旅行(2)130
タイの道路も直交式の交差点は多いが、上の写真のようなロータリー式の交差点もよく見かけた。
このロータリーの中心部は貯水池になっており、昔は水道施設ではなかったろうかと思うが、貯水池を囲むロータリー交差点は珍しい。
どの町でもロータリー交差点がひとつはあったように思うが、ロッブリーはナーラーイ王時代の1665年からアユタヤ王朝の第二の都としてフランス人建築家の設計によって建設が始められたので、その当時のものが残っているのかと思った。
この頃はスペイン、ポルトガル、オランダなどに続いて商圏の拡大と植民地支配を目論むイギリスやフランスが東南アジア一帯に進出してきていたが、ナーラーイ王はフランス(ルイ14世治世)との関係を密にしていた。
副都ロッブリーの建設は、1664年にオランダ東インド会社が商権の独占を要求してチャオプラヤー川の封鎖を行うという事件を起こしたためであり、これは友好国フランスの技術援助を全面的に受けて行われた。
s-コピー ~ タイ遺跡旅行(2)133
ロッブリーが全く新しい土地に開発された土地でないのは上の写真のようなクメールの神殿跡が残っていることでも分かる。
これはプラ・プラーン・サム・ヨート。
ヒンドゥー教のクメール様式の塔(プラーン)が3つ並んで建っているが13世紀の建造物らしい。
この建物と敷地には猿が沢山おり、敷地の直ぐ横をタイの鉄道線路が通っている。
s-コピー ~ タイ遺跡旅行(2)127
この寺院跡に限らず、やたらと猿が多く、ガイドさんからはバッグなどの荷物をしっかり持っていてくれるようにとの注意があった。
自由奔放に育っている猿たちであり、少し油断すればサッと持ち逃げしてしまうらしい。
猿たちの中には列車に乗ってバンコク見物に行って来る猛者もいるそうだ。
s-コピー ~ タイ遺跡旅行(2)120
ここはサーン・プラ・カーン寺院横の歩道だが、猿がいっぱい。
人が歩いても恐れることなく、図々しいというか立ち退くこともない。
誰だか聞いたけれど重要とも思わなかったので忘れてしまったが、猿を保護するお金持ちがいて、以来、猿が幅をきかすようになってきたらしい。
s-タイ遺跡旅行(2)123
この猿など私がこの写真の距離まで近付いても全く平気の平左衛門であった。
かなり歳を取ったジイサン猿なので元気が無かったのかもしれないが、これほどにまで人間に慣れているということである。
s-タイ遺跡旅行(2)125
サーン・プラ・カーン寺院とプラ・プラーン・サム・ヨートとは道路と線路を挟んで向かい同士になる。
s-タイ遺跡旅行(2)126
サーン・プラ・カーン寺院は1951年に建てられた比較的新しい寺院であるが、多くの人々の信仰を集めているようで、この時もタイの女子高生らが見学参拝に訪れていた。
日本の神社の狛犬のように、この寺では猿が魔除けを担っているようである。
この階段を上がったところが仏殿だが、仏殿そのものがこんもりと盛り上がった土地に建てられており、この仏殿の後ろ側に殆ど崩れてしまっているがクメール時代にラテライトで建てられた寺院遺構が僅かだが残っている。
s-タイ遺跡旅行(2)124
タイでは何処の寺院でも参拝者のために線香や飾り花が用意され安く売られている。
上は売店のひとつであるが、私の目の前で猿が吊るしてある飾り花をつかんで盗って行った。
全くすばしこい動きで、台の上に跳び上がり飾り花をつかんで飛び降りるのに2秒とかからない早業であった。
この猿の動きにも驚いたが、駆けて行った先で柿色の花をむしって食べているのにも驚いた。
猿が花を好物として食べるというのを初めて知ったからである。
初めの猿には売店のオジサンも気付かなかったのだが、さすがにその後跳び上がってきた猿には声をあげて追っ払っていた。




masatukamoto at 10:54│Comments(0)TrackBack(0)

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