July 22, 2010

久し振りに博多へ 【5】 (博多・祇園山笠)

博多では7月1日から七つの流の舁き山のほか、14の飾り山が各所で公開されている。

七つの舁き山については、12日の追い山ならし、13日の集団山見せ、そして15日の追い山で全てを櫛田神社、もしくは明治通りで見ることができるが、飾り山は舁き山のように実際に走るわけではないので展示箇所まで出向かなければ見ることはできない。

ただし、櫛田入りのところで書いたように上川端通りの飾り山だけは七つの流に次ぐ『8番山笠・上川端通』として、唯一舁き手によって櫛田入りを行う。
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上は8番山笠・上川端通の表。
標題は、『博多風神雷神恵』(はかた ふうじんらいじんのめぐみ)

『風神・雷神』と言えば桃山・江戸期の絵師・俵屋宗達の作品を思い浮かべてしまうが、江戸中期の絵師・尾形光琳の屏風画も有名である。

京都・三十三間堂に鎌倉期の風神・雷神の木彫像もあるが、風や雷の発生メカニズムを知らなかった頃の人々にとって風や雷は恐怖の対象であると同時に大地の恵みの対象でもあったのであろう。

下は見送り(裏側)で、標題は『忠勇士景清』(ちゅうゆうのしかげきよ)

平景清(藤原景清)のことであり、一の谷、屋島から壇ノ浦へと続く源平合戦で活躍した武将で、平家物語巻十一の「弓流」では源氏方の美尾屋十郎の錣(しころ)を手で引きちぎったという話が記されている。
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錣(しころ)というのは兜の左右と後ろに垂れるように金属板を綴り合せて首筋を守る働きをするものだから豪腕の持ち主であったのだろう。

歌舞伎十八番『景清』では、源氏に捕らえられた景清は洞窟内の牢に閉じ込められるが、敵からもらうものは一切口にしないと絶食し、源氏の武将から平氏の宝物の在り処を問われても一切応えなかった。

そんな景清に対して、源氏の武将は景清の妻と娘を牢の前に引き連れ責め始めるが、それを見た景清は怒り心頭に発し牢を破ってしまうのだが、上の見送りの場面は景清が牢破りをした際に格子の木材を持ち上げているところのようだ。

飾り山は、上の上川端通のほか、櫛田神社、中洲流、川端中央街、博多リバレイン、キャナルシティ博多、博多駅商店連合会、天神一丁目、渡辺通一丁目、新天町、ソラリア、福岡ドーム、千代流、東流とあるが、下は十七番山笠・川端中央街の飾り山である。
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表標題が『義経千本桜』
これも歌舞伎からの引用テーマである。

しかし見送り標題は『ドラえもん』である。
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何ともユーモラスであり思わず笑みがこぼれてしまった。

下は博多リバレインの飾り山で、表標題は『清正誉之虎』。
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今年の干支にちなんでの作品らしい。

見送り標題は『喝采新演劇始祖』。
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今年は博多生まれのオッペケペ節で有名な川上音二郎の没後100年だとかで、新演劇の祖としてテーマに掲げたのだとか。

東京の川上座、大阪の帝国座を建設し、奥さんの貞奴とともに日本演劇界に新風を吹き込んだことでよく知られている。
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以前には無かったのだが、明治通りを挟んで博多リバレインと向かい合うように川上音二郎の記念碑が建てられていた。

♪ 権利幸福嫌ひな人に
    自由湯をば飲ましたい
      オッペケペ オッペケペ
        オッペケペッポー ペッポッポ
    (ーーー略ーーー)
  外部(うわべ)の飾りはよいけれど
    政治の思想が欠亡だ
      天地の眞理がわからない
        心に自由の種を蒔け
      オッペケペ オッペケペ
        オッペケペッポー ペッポッポ 

明治中期の偉大なる俳優であり事業家、思想啓蒙家でもあったが、葬儀まで後々にまで語られるほど規模の大きいものであった。

下は一番山笠・中洲流の飾り山。
表標題は、『合戦宇治橋攻防』である。
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京都の南部、山紫水明の宇治・平等院に陣を構えた以仁王(もちひとおう)と源頼政(みなもとのよりまさ)、それに三井寺の僧兵たちの軍勢が、宇治川を境に平家の軍勢と争った戦である。

平安時代と言えば先ず藤原氏の摂関政治を挙げることができるように天皇家と貴族の結びつきによって権力支配が成り立っていたと言っても良く、そうした権力と結びつきを強めてきたのが平氏であり源氏でもあった。

平安時代後期になると院政が行われ法皇・上皇・天皇と権力抗争が熾烈になり、保元・平治の乱を経て平安末期には平氏が政治の権力を握るようになっていった。

当然の如く平氏政権と後白河院政の間に反目が生じ、神戸・福原にあった平清盛が軍勢を率いて法皇を幽閉して院政を停止させ、更に高倉天皇を譲位させて、当時3歳であった安徳天皇を即位させるに至った。

安徳天皇の父親は高倉天皇であるが、母親は平清盛の娘・徳子である。
これによって平清盛が最高権力者となり横暴を極めるに至ったのである。

こうした平家の横暴に対して反旗を掲げたのが以仁王と源頼政らであったが宇治での奮戦空しく破れてしまった。 この頼政の墓は平等院にある。
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上は見送り標題『老公薩摩霽濡衣』(ろうこう さつまのぬれぎぬをはらす)。

老公とは勿論水戸光圀のことであり、テレビ映画でお馴染みの衣装で飾り左手に立っている。

神奈川沖で沈んだ薩摩藩の船から禁制の洋式銃が発見されたため、薩摩藩の財宝を手に入れようと陰謀を企む柳沢吉保に対し、薩摩藩の濡れ衣を晴らそうと旅を続ける黄門一行をテーマにしたらしい。

いかにも史実にありそうなことではあるが、水戸黄門こと徳川光圀が諸国を巡り歩いたという事実は無いので漫遊記というお話の上でのことである。

飾り山の全てを見れなかったが、各飾り山の標題(表・見送りとも)を大雑把だが分類してみると、
 歴史・軍記物(歌舞伎なども含む)
     水滸伝、維新龍馬伝、鄭成功義勇之誉、決闘巌流島、
     南総里見八犬伝、龍馬が奔る、暫、博多津再興之礎、
     大八島国曙、義経千本桜、清正誉之虎、喝采新演劇始祖、
     一世風靡音二郎、宝来船博多之賑、歴史誇日向宮崎
 昔 話
     鬼島凱旋桃太郎、猿かに合戦、怪童金太郎
 アニメ
     ドラえもん、チャギントン、名探偵コナン、ちびまる子ちゃん
 その他 
     鷹吹風迎撃、水郷柳川文化薫(歴史ものかも)
上記のように傾向は明瞭である。

下は舁き山の大黒流で、標題は前ページでも紹介しているが
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『清風万頃波』で平重盛である。

舁き山の標題やモデルを一覧にすれば
『威風震十方』で不動明王
『博多守護之武勲』で元寇の役の時の武将
『日出乾坤輝』で恵比須(ヒルコノミコト)
『勇将義如鐡』で立花宗茂
『英雄・鄭成功』
『仁風導和気』で歌舞伎・鎌倉権五郎景政
以上のように神仏が『2』、歴史・軍記物(歌舞伎なども含む)が『5』となり、舁き山も飾り山も標題の傾向がはっきりしている。

博多では山笠が終わると真夏がやってくると言われているが、何と、実際にその通りになり、16日は完全に梅雨明けの空になった。






masatukamoto at 07:41│Comments(0)TrackBack(0)

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