December 24, 2010
ポルトガル・スペインを巡る 【9】 聖地へ向かう(5)
レオンの街は緯度的には北海道の札幌と同じくらいであるが、メセタの北西部に位置し、海抜823mの高原上にあるので10月末であっても朝の気温はぐんと低い。
左の写真はパラドール・レオンの建物横を流れるベルネスガ川(Rio Bernesga)に架かるクェベド橋(Puente de Quevedo)からの景色である。
街灯の照らす所だけが明るい、言うなれば天文薄明、夜明け前の状態であるが時刻としては午前7時頃である。
勤め先に向かう人たちが急ぎ足で通り過ぎて行くが、いずれもセーターにマフラー、或いは冬用のコートを羽織っており、秋の薄着で出てきた私たちは場違いの感じであった。
参考までに、左の写真はパラドール・レオンの前にあるサン・マルコス広場からサン・マルコス大通りを眺めたものだが、時刻は午前9時頃。
やっと太陽が町を明るく照らし出し、通りに活気が感じ始められだしたところである。
この大通りの先に大きいロータリーであるインマクラーダ広場があり、更に進むとサント・ドミンゴ広場に至る。
このロータリーは少し小さいものだが、8つの道が交わっている。
写真正面左手のビルにはMuseo de Leónと書かれていたが、パラドール・レオンに併設されている施設も同じであった。 Museoは英語におけるMuseumであり、日本語としては博物館なのか美術館なのか施設に入ってみなければ私には区別できない。
正面の茶色の建物はBBVA銀行の建物であり、アンチャ通りを挟んで右手の塔のある建物が10世紀に創建されたサン・マルセロ教会(Parroquia San Marcelo)でレオンでは最も古い教会である。現在の建物は18世紀のものらしい。
先に書いたアンチャ通りに入って直ぐ右手(サン・マルセロ広場)に建つ旧市庁舎。
この建物も随分古そうだが、いつ頃に建てられたものかは分からない。
旧市庁舎とアンチャ通りを挟んだところ、この写真では右手に向かい合うように建っているのがカサ・デ・ロス・ボティネス(Casa de los Botines)。
ボティネスさんの屋敷とでも言うのであろう。
アントニオ・ガウディ(Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet)が設計したものでり、現在はスペイン銀行(Caja España)の建物になっている。
ガウディと言えばサグラダ・ファミリア(Temple Expiatori de la Sagrada Família・ユネスコ世界文化遺産)の設計・建築であまりにも有名であるが、彼はバルセロナで建築学を学んだためか彼の作品はカタルーニャ地方に多い。
ガウディと彼の作品についてはバルセロナのところで改めて触れてみたい。
上の場所を角度を変えて撮影したものが左の写真である。
正面に写っている建物がグスマネス宮殿(Palacio de los Guzmanes)で16世紀の建築とのこと。 現在は県議会として使用されているらしい。
この建物の右手の道(アンチャ通り)を進んで行くと前ページで書いたレオン大聖堂に至る。
13世紀末に建てられたカテドラルのバラ窓は高い場所にあるので規模が分かりにくいが直径は8mもあるそうだ。
空に向かって伸び上がるゴシック様式独特の建築は見事なものである。
高く石を積み上げた上に屋根石をアーチ状に組み置いているため側壁にかかる圧力が大きく、その為に圧を逃がし分散させるための補強材が用いられるのだが、左の写真でも身廊屋根部分から両手を広げるように幾本もの補強材が側廊側に伸びているのが見てとれる。
ファサードの入り口は3つあるが、それぞれの入り口には'最後の審判'などが彫られている。
以前は聖人たちの石彫像が立てられていたらしいが、雨による損傷がひどくなってきたとかで、左の写真のように現在は聖堂附設の建物の内庭回廊に移設されている。
カテドラルはローマ時代の風呂の上に建てられたらしく、地下には遺構が残っているのだとか。
ガイドに遺構は見れるのかと問うたら見れるという返事だったので見せてくれるものと思っていたのだが、これは見ることが出来なかった。 私の聞き違いだったかも・・・
カテドラルから北西へ3~400mばかりのところにサン・イシドロ教会(Iglesia de San Isidoro)がある。
サン・イシドロは学者でセビリアの聖人である。
1063年、スペイン南部の町セビリアはイスラム勢力とキリスト教勢力による抗争の過程にあったが、その中で彼の遺体はレオンに運ばれて埋葬された。
その埋葬された場所がサン・イシドロ教会であるが、レオン王国のフェルディナント1世の命によって1063年に建設が始められた。
当初ロマネスク様式の建築であったが、後にゴシック様式など部分的に改築の手が加えられたりしたが、ファサードとレオン王家の霊廟は当時のままらしい。
しかし、霊廟はナポレオン軍によって荒されて建物だけが残っているのだとか。
左の写真はファサードを拡大したものだが、この'免罪の門'には神により信仰が試されたアブラハムが我が子イサクを生贄として祭壇に供する場面と羊が彫られている。
教会内部のレンガの組み模様や身廊の天井部分にはイスラム系の文様があったりでムデハル様式がうかがえる。
レオンの旧市街はローマ時代の城壁や中世の市壁遺構が残っていると書いたが、左の写真で壁が曲面を呈しているのがローマ時代の城壁である。
壁は石積みで結構な高さである。
レオンについては、この辺りで切り上げておくことにする。
左の写真はパラドール・レオンの建物横を流れるベルネスガ川(Rio Bernesga)に架かるクェベド橋(Puente de Quevedo)からの景色である。
街灯の照らす所だけが明るい、言うなれば天文薄明、夜明け前の状態であるが時刻としては午前7時頃である。
勤め先に向かう人たちが急ぎ足で通り過ぎて行くが、いずれもセーターにマフラー、或いは冬用のコートを羽織っており、秋の薄着で出てきた私たちは場違いの感じであった。
参考までに、左の写真はパラドール・レオンの前にあるサン・マルコス広場からサン・マルコス大通りを眺めたものだが、時刻は午前9時頃。
やっと太陽が町を明るく照らし出し、通りに活気が感じ始められだしたところである。
この大通りの先に大きいロータリーであるインマクラーダ広場があり、更に進むとサント・ドミンゴ広場に至る。
このロータリーは少し小さいものだが、8つの道が交わっている。
写真正面左手のビルにはMuseo de Leónと書かれていたが、パラドール・レオンに併設されている施設も同じであった。 Museoは英語におけるMuseumであり、日本語としては博物館なのか美術館なのか施設に入ってみなければ私には区別できない。
正面の茶色の建物はBBVA銀行の建物であり、アンチャ通りを挟んで右手の塔のある建物が10世紀に創建されたサン・マルセロ教会(Parroquia San Marcelo)でレオンでは最も古い教会である。現在の建物は18世紀のものらしい。
先に書いたアンチャ通りに入って直ぐ右手(サン・マルセロ広場)に建つ旧市庁舎。
この建物も随分古そうだが、いつ頃に建てられたものかは分からない。
旧市庁舎とアンチャ通りを挟んだところ、この写真では右手に向かい合うように建っているのがカサ・デ・ロス・ボティネス(Casa de los Botines)。
ボティネスさんの屋敷とでも言うのであろう。
アントニオ・ガウディ(Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet)が設計したものでり、現在はスペイン銀行(Caja España)の建物になっている。
ガウディと言えばサグラダ・ファミリア(Temple Expiatori de la Sagrada Família・ユネスコ世界文化遺産)の設計・建築であまりにも有名であるが、彼はバルセロナで建築学を学んだためか彼の作品はカタルーニャ地方に多い。
ガウディと彼の作品についてはバルセロナのところで改めて触れてみたい。
上の場所を角度を変えて撮影したものが左の写真である。
正面に写っている建物がグスマネス宮殿(Palacio de los Guzmanes)で16世紀の建築とのこと。 現在は県議会として使用されているらしい。
この建物の右手の道(アンチャ通り)を進んで行くと前ページで書いたレオン大聖堂に至る。
13世紀末に建てられたカテドラルのバラ窓は高い場所にあるので規模が分かりにくいが直径は8mもあるそうだ。
空に向かって伸び上がるゴシック様式独特の建築は見事なものである。
高く石を積み上げた上に屋根石をアーチ状に組み置いているため側壁にかかる圧力が大きく、その為に圧を逃がし分散させるための補強材が用いられるのだが、左の写真でも身廊屋根部分から両手を広げるように幾本もの補強材が側廊側に伸びているのが見てとれる。
ファサードの入り口は3つあるが、それぞれの入り口には'最後の審判'などが彫られている。
以前は聖人たちの石彫像が立てられていたらしいが、雨による損傷がひどくなってきたとかで、左の写真のように現在は聖堂附設の建物の内庭回廊に移設されている。
カテドラルはローマ時代の風呂の上に建てられたらしく、地下には遺構が残っているのだとか。
ガイドに遺構は見れるのかと問うたら見れるという返事だったので見せてくれるものと思っていたのだが、これは見ることが出来なかった。 私の聞き違いだったかも・・・
カテドラルから北西へ3~400mばかりのところにサン・イシドロ教会(Iglesia de San Isidoro)がある。
サン・イシドロは学者でセビリアの聖人である。
1063年、スペイン南部の町セビリアはイスラム勢力とキリスト教勢力による抗争の過程にあったが、その中で彼の遺体はレオンに運ばれて埋葬された。
その埋葬された場所がサン・イシドロ教会であるが、レオン王国のフェルディナント1世の命によって1063年に建設が始められた。
当初ロマネスク様式の建築であったが、後にゴシック様式など部分的に改築の手が加えられたりしたが、ファサードとレオン王家の霊廟は当時のままらしい。
しかし、霊廟はナポレオン軍によって荒されて建物だけが残っているのだとか。
左の写真はファサードを拡大したものだが、この'免罪の門'には神により信仰が試されたアブラハムが我が子イサクを生贄として祭壇に供する場面と羊が彫られている。
教会内部のレンガの組み模様や身廊の天井部分にはイスラム系の文様があったりでムデハル様式がうかがえる。
レオンの旧市街はローマ時代の城壁や中世の市壁遺構が残っていると書いたが、左の写真で壁が曲面を呈しているのがローマ時代の城壁である。
壁は石積みで結構な高さである。
レオンについては、この辺りで切り上げておくことにする。
masatukamoto at 21:54│Comments(0)│TrackBack(0)│