February 07, 2011

ポルトガル・スペインを巡る 【24】 エヴォラ(つづき)

ヨーロッパで早くから開けた町でも、ロンドン、パリ、ローマなど一部の『都市』を除いて旧市街というのは案外狭いものである。

エヴォラも早くからイベリア半島での交易の中継地として開けた町であるが、旧市街地としての面積はさして広いものではなく、1日あれば十分に歩いて見て回れる。
エヴォラ、ジラルド広場(2)105
高台に位置するローマのディアナ神殿からカテドラルを経て緩やかな坂道を下ってくるとジラルド広場(praça do Giraldo)に出る。

写真正面の建物は聖アントニウス教会(igreja de Santo Antão)。英語読みだと聖アントニー(Saint Anthony)になるのかな。
エヴォラの町(2)104
教会の前には1556年に造られたルネサンス式の泉があったり、ゴシック風の建物があったりオープンカフェがあったりと日本では見られない光景が広がる。

広場につながる石畳の街路は軽自動車でもすれ違うのが困難なほど狭いが、そのように細い道でも白壁に陽光が反射して明るい雰囲気をかもし出している。

この白壁建築はイスラム勢力のムーア人たちの影響を受けたものだとか。

エヴォラ街路(2)128そう言えばイベリア半島の町々は白壁の家が多い。

こんなに狭い路地と呼べるような道もある。

昔の人々にとって広場というのは公けの場であり、様々な集会が行われたと聞く。

レコンキスタ以後、キリスト教勢力下で厳しく改宗を迫ったり、異端尋問を行ったり、見せしめの刑罰を与えるなどの場としても使用されたらしいので、このジラルド広場でもそうしたことが行われていたのかもしれない。
エヴォラ、土産物店(2)107
エヴォラはアレンテージョ地方の大きい町であるが、この地方は昔から穀物生産が豊かで『パンのバスケット』とも呼ばれている地域でもある。

それに広々とした農園ではオリーブやコルク樫の木も栽培している。

写真は土産物店であるが、コルクによる土産物を沢山並べている。

コルクと言って私が思い浮かべるのは先ずワインボトルの栓だが、この店先には各種の飾り物の他、コースター、帽子にバッグ、更には写真にも見えるがコウモリ傘までコルク製品として売っていた。

この傘については全く驚いたと言うか、感心してしまった。
エヴォラ、聖母マリア恵みの修道院(2)130
広場から更に下って行くと聖フランシスコ教会(Igreja de São Francisco)の鐘楼と礼拝堂の屋根が見えてくる。

この教会は15世紀末から16世紀にかけて建築され、遠望すればゴシック様式の建築であるが、大航海時代の影響を受けてマヌエル様式も見られる。

旧市街の最も高い場所にあるディアナ神殿から徐々に歩いて下ってきたが、エヴォラは町全体が博物館であると表現しても良いように思う。
雅宏撮影スペイン(2)083
聖フランシスコ教会のファサード。

ファサードの直ぐ右手、白壁部分の出入り口から後に紹介する骨のチャペル(capela dos ossos)に入ることができる。

エヴォラ、サンフランシスコ教会(2)084チャペル(chapel=capela)とは日本語での礼拝堂にあたる。

聖フランシスコ教会のファサード、車寄せの柱やアーチに見られるロープ状の装飾。

これらはマヌエル様式である。






雅宏撮影スペイン(2)092
身廊から主祭壇を見たもの。

ゴシック様式で高い天井を擁し、主祭壇のあたりは大理石による装飾が素晴らしく、側廊部分の壁は色鮮やかなアズレージョで飾られている。

この教会も交差廊が設けられており、建物を平面的に見ればラテン十字の形をしている。


雅宏撮影スペイン(2)089
左の写真は左側交差廊の礼拝堂であるが、バロック様式の祭壇にイエス・キリストの磔刑像、壁面は宗教画とアズレージョで装飾が施されている。


この教会には前に少し触れたが人骨を集めて造られた骨の礼拝堂(capela dos ossos)が附設されている。

礼拝堂のエントランス部分は下の写真のようにアズレージョで装飾され、外光がよく入って明るい感じである。
エヴォラ、骨の教会・合成(1)
この礼拝堂はフランシスコ会の修道士たちが沈思黙考するための場所としていたらしいが、人骨で装飾と言うのもそぐわないけど、柱や壁面は多くの人骨で覆われた何とも奇妙な雰囲気の礼拝堂である。
エヴォラ、骨の教会(2)098
写真の柱や壁にゴツゴツとした凹凸が感じられるのは全て人間の頭蓋骨や大腿骨などが埋め込まれているからなのである。

少しずつ拡大してみることにする。

人骨の総数は約5000体分
エヴォラ、骨の教会(2)099だと聞いた。

何でもエヴォラにおける中世の墓地に埋葬されていたものを掘り起こして礼拝堂の壁などに埋め込んだものらしいが、戦で亡くなった者、疫病で亡くなった者などの遺骨らしい。

私が見学して感じたのは頭骨エヴォラ、人骨堂(2)102が小さいもの、つまり子どもの頭蓋骨が多いということであった。

医学、薬学、栄養学など、そうした学問分野が今ほど発展していなかった当時のことであるから、まず抵抗力の低い子供たちの犠牲が大きかったことは十分想像できることである。

キリスト教の修道士たちも仏教の僧侶たちも自らの修養のために静かに熟考する時間を持つのは分かる。

日本を例にとれば臨済、曹洞、黄檗など、禅宗僧侶は座禅を組み宗教的叡智を感得するよう努め、それが『無』や『空』という言葉が正しいかどうか別として自然と一体の中で修練しているように思える。
エヴォラ、恵みの修道院(2)103確かに亡骸というものに意味は無いであろうが、人骨を集めた堂の中で沈思黙考修養を積むというのは私の考えでは理解の域を超えているように感じた。

写真の鐘楼は聖母マリアの恵みの修道院(convento da graça)。

1511年に建設されたルネサンス様式の建物で、これも世界遺産に指定されている。
エヴォラ、ドンマヌエル宮殿(2)093
先に書いたがエヴォラは文化財の宝庫であり、将に街全体が博物館で実に素晴らしい。

この建物はドン・マヌエル宮殿(Dom Manuel Palace)。

エヴォラ、ヴァスコ・ダ・ガマ像(2)081マヌエル、ルネサンス、ゴシックなど様々な建築様式が取り入れられた建物で、ヴァスコ・ダ・ガマがマヌエル1世((Manuel I)よりインド航路開拓の命令を受けた建物でもある。

彼は1497年にリスボンを出航し、南アフリカの喜望峰を回って1498年にインドのカリカッタに到達している。

ヴァスコ・ダ・ガマの像(Estátua de Vasco da Gama)はドン・マヌエル宮殿の建つ公園に建てられている。




masatukamoto at 17:04│Comments(0)TrackBack(0)

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