February 20, 2011

ポルトガル・スペインを巡る 【27】 セビリア

セビリアは、大西洋に流れ出るグアダルキビール(Guadalquivir)川に面して古くから開けた町である。

グアダルキビール川の河口部からは100kmばかり船で遡上せねばならないが、中世の頃には海上交通が頻繁に行われ、アンダルシア地方における中心的港湾商業都市として栄えたようである。

大航海時代の1492年、新大陸発見で名を馳せたコロンブスはこのセビリアの港から出帆し、やがて植民地とされた地域の物資が船を用いてどんどんセビリアに運び込まれるようになり、16世紀にはスペインで最多の人口を数える都市になった。
セビリア黄金の塔Aスペイン(2)016
写真の塔はグアダルキビール河畔に建つ『黄金の塔』(Torre del Oro)。

遠望すると円柱状の塔に見えるが、写真でも分かるように12面の壁を持つ塔である。
元々は壁面にタイルが貼り付けてあって、光が当たると金色に輝いていたことからゴールド(Oro)の名が付けられたらしい。 現在は塔最上部のドーム状の屋根が金色に輝いて見える。

塔は川を遡上してくる船の監視のため、1220年にグアダルキビール川の左右両岸に2基建築されたらしいが、現在は写真の1塔のみ残っている。

塔の建築当時はイスラム勢力が支配していたため、塔の屋根部分や窓などにアラベスク(アラビア模様)が見られる。

レコンキスタによってキリスト教勢力がセビリアを支配下に置いたのが1248年のことであった。(カスティーリャ王フェルナンド3世)
セビリア大学(法学部)スペイン(2)043
上の写真はセビリア大学(Universidad de Sevilla)。

この大学も歴史は古い。 大学の創立は1551年であるが、その前身となる教育施設は15世紀末に創設されている。

現在、大学本館となっているネオクラシック調の写真の建物は18世紀から1950年代まではタバコ工場として使用されていた。
セビリア街路樹スペイン(2)049
セビリアと言って思い浮かべるものに『セビリアの理髪師』『闘牛』『フラメンコ』を先に挙げたが、スペインという国名からだと歌劇『カルメン(Carmen)』を付け加えねばならない。

フランスのジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)が1874年に歌劇化したが、原作はフランスのプロスペル・メリメ(Prosper Mérimée)が1845年に発表した同名の小説である。

プロスペル・メリメがスペイン旅行中に山賊の身の上話を聞き、それを主軸に展開しているものだが、騎兵・ドン・ホセがタバコ工場で働くカルメンと出会い、彼女の魅力に憑りつかれたホセは次々と悪事に手を染めるようになっていく。

プロスペル・メリメが、カルメンが働くタバコ工場と設定したのが現在のセビリア大学本館なのである。
闘牛場スペイン(2)112
歌劇『カルメン』で「L'amour L'amour」と歌われる『ハバネラ』や、「Toreador, L'amour t'attend」と歌われる『闘牛士の歌』は大方の人が一度は聴いて知っているはずの曲である。

上の写真はオレンジの街路樹とマエストランサ闘牛場(Plaza de Toros de la Maestranza)。

闘牛は別に見たいと思っていたわけでもないし、開催日でもなかったので今回は外観のみの見学。

「所変われば品変わる」と言われるように闘牛と言っても日本の場合は牛同士角を突き合わさせて力強さで勝敗を決するだけだが、スペインの場合は人間と牛との生命を賭した闘いである。

馬に乗ったピカドールが長い槍で牛を突き、次にバンデリジェロが飾りつきの槍を牛に刺し込む。 そしてマタドールが布を翻して牛を走らせ、最後に剣を突き刺して牛を倒すのがスペインの闘牛である。
セビリアの昼スペイン(2)154
闘牛での日本との違いは、彼らは古くから牛の肉を食してきたが日本の場合は牛を農耕用に用いてきたというところに違いの根源があるのではないかと私は思うが真実のところは分からない。

風俗・習慣というものは土地土地で随分変わるものだが、食事についても日本とは大いに異なる。

スペイン人の朝食は『デサジューノ』と呼び、コーヒーに小さなパンかビスケットをつまむ程度の簡単なものである。そのかわりと言うか11時にMerienda media Mañana、つまり『午前中のおやつ』と称して
ボカディージョ(サンドウィッチ)をつまむ。 
セビリア・メニュー、スペイン(2)154その後は午後2時から2時間はシエスタ(

Siesta)』と呼ばれる昼休み。 この時間帯に自宅へ帰ってゆっくりと昼食をとる。 

《最近は自宅へ帰らない人も増えているらしい》
勤めが終わる午後6時~7時頃には『おやつ』と称してバルやカフェでタパスやケーキをつまみながら酒やコーヒーを飲む。
『セナ』と呼ぶ夕食はその後なので午後8時~9時以降となる。

だからスペインのレストランでは日本人が夕食をとる時間帯、つまり7時頃は大抵空いているのである。

写真は午後1時頃の某レストランの様子だが、路上に並べられたテーブルではビールやワインを飲む人たちで賑わっていた。
メニューはスペイン語と英語で書かれていたのでスペイン以外の国の人たちも訪れるのであろう。

   



masatukamoto at 20:08│Comments(0)TrackBack(0)

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