June 09, 2011

ポルトガル・スペインを巡る 【42】 バルセロナ(Ⅵ)

さて、今回の旅行も終わりに近づき、最終の訪問地モンセラット(Montserrat)に向かうことにした。

モンセラットをモンセラートと表記してあるガイドブックもあるが、現地の人たちの発音を聞くと、『Montserrat』の初めの『t』は発音せず、『ra』にアクセントをおき、『rra』を巻き舌のように、そして『rrat』の『t』を破裂音として言っているように聞こえたので私はモンセラットと表記する。
pict-雅宏撮影スペイン(3)009モンセラット






『Montserrat』とは、『monte』『montaña』山とか山岳という意味の言葉に『sierra』(鋸・のこぎり)という言葉をつけて「鋸のようにギザギザの山」という複合語になっているらしい。  sierraはフランス語のscieで似ている。 ちなみに英語ではsawだが。
pict-雅宏撮影スペイン(3)144
バルセロナからはE9号線(欧州自動車道・モンセラット高速道)或いはバルセロナ自動車道で北西方向に1時間ほど走った辺りにモンセラットはある。 距離にすれば60km程度だろうか。

モンセラットの標高は1235mらしいが、その中腹にベネディクト会のモンセラット・サンタ・マリア修道院(El monasterio de Santa Maria de Montserrat)と付属の大聖堂がある。

麓の町からはケーブルカーでも登ってこれるし自動車道路も整備されており、高低差は大きいとは言えないが、かなりの傾斜角度があるため交通機関が発達していなかった昔の登山は相当な苦労が伴ったであろうと思う。
pict-雅宏撮影スペイン(3)002
ベネディクト会については、これまでにも何度か触れてきているが、『ヌルシアのベネディクトゥス』(Benedictus de Nursia)を創始として6世紀初めに修道会則をもとに制度化された集団修道生活を行う団体で、以後幾つかの会派に分かれるが、修道会の草分け的集団と理解して良いだろう。

ベネディクトゥスが提唱する以前からエジプトなどで修道士・修道女が修道する場はあったようだ

「祈り、かつ働け」をモットーにするベネディクト修道院は、キリストの歩pict-雅宏撮影スペイン(3)143モンセラットんだ厳しい道を思い、定住・貞潔・質素・服従といった厳しい戒律を修道士・女に課した。 この厳しい戒律をもとに起床は午前2時。その後、何度かの祈りや学習(読書など)に6~7時間、畑仕事などの労働に7~8時間を充てるという自らを律する暮らしをしていることを以前シトー派の修道院を訪れた折に聞いたことがある。

シトー派というのはベネディクト会から分派した修道会で、キリスト苦難の道に沿って清貧をもって信仰を求める集団ゆえ、修道院の設置場所は俗世間と切り離した場所に求め、自給自足の修養生活を行うことを柱としている。

モンセラットのベネディクト会のサンタ・マリア修道院での生活がどのようなものか尋ねはしなかったが、大きく異なることはないと思う。

モンセラットのサンタ・マリア修道院の駅から更にケーブルカーで山上のサン・ジョアン展望台まで登ることができる。 私たちは行かなかったが山上には修道士が住んでいた祈祷庵などがあるそうで、それらをぐるりと巡ることができるらしい。 白っぽい肌色の岩山を眺めていると、何となく日本の山岳信仰における行場のような感じがしたのだが・・・
pict-雅宏撮影スペイン(3)139この山の岩を遠望していると花崗岩が風化しているように思えたのだが、ガイドブックには堆積岩であると記されていた。

更に調べてみると、大昔、海底に堆積した礫岩などと共に海水中のサンゴのような生物死骸も共に堆積。 地中の巨大な圧力と高熱の作用で石灰質が接合の働きを為して押し固められ、その堆積層がアルプスやピレネーの造山運動で隆起し、その後何万年もの侵食作用を受けて現在の状態に至っているのだと。

ところで、現在のサンタ・マリア修道院は、元々山上に設けられた修道僧の庵であったらしく、同じカタルーニャ州のサンタ・マリア・デ・リpict-雅宏撮影スペイン(3)137モンセラットポイ(El Monasterio de Santa Maria de Ripoll)の分院であったらしい。

しかし、『黒い聖母(ヌエストラ・セニョラ・デ・モンセラート、Nuestra Señora de Montserrat)』の信仰が高まり参詣者が増えることによって修道院の勢力が増し、1410年にはリポイの修道院とは分離することになった。


※ 写真はモンセラット・サンタ・マリア修道院と付属の大聖堂。

修道院は参詣者が多く、修道院付属の大聖堂も建設(14世紀~19世紀初め)された。
pict-雅宏撮影スペイン(3)147モンセラット
写真は大聖堂のファサード。

やがて、スペイン独立戦争(1811年、1812年)で修道院はフランスのナポレオン軍によって破壊され、その後荒廃が続き、スペイン内戦(1836~1839年)時には修道院が閉鎖されるという不運が続いた。
pict-雅宏撮影スペイン(3)150モンセラット

大聖堂内部の礼拝堂。











pict-雅宏撮影スペイン(3)152黒いマリア聖母マリアは膝にキリストを抱え乗せ、右手は球を持っている。

金箔を張ってるので黄金色に見えるが、顔も足も皮膚の色は黒い。

なぜマリアの体が黒いのかは諸説あり、いずれを信じれば良いのか分からない。

幼いキリストが右手を挙げて祝福しているのは分かるが、マリアがどうして球体を右手で支え持っているのか分からなかった。

しかし後で聞くと、球は地球を表しているのだと。 これで何となく納得。
pict-雅宏撮影スペイン(3)155モンセラット殉教者に対する慰霊の灯だったろうか。

沢山のローソクが立てられてあったのだが、何故多くのローソクが献じられているのか、これの意味は分からなかった。



masatukamoto at 15:23│Comments(0)TrackBack(0)

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