August 07, 2011
夏の夜空の花
今年も大輪の花火を見せてもらうことができた。
もう何回目になるのだろうか。 子ども達の年齢から数えれば、かれこれ30回目に近いのかもしれない。
現在の住所に移り住んだ頃、周囲は松やクヌギなど様々な樹木が覆い茂る里山と棚田が広がる自然豊かな場所であった。
『孟母三遷の教え』ではないが、子ども達が成長する過程で『自然に親しめる環境を』と現在地に住居を定めたのであった。
まあ昔のことはどうでも良いが、花火の打ち上げ場所が現在の場所になったのは、子ども達が中学生の頃だったように思う。
丘陵の東端に位置する我が家から花火を鑑賞するのに何の障壁もなく、谷向こうに打ち上げられる花火を部屋の中から眺められる、将に特等席なのである。
1年に一度、夏の夜の30分間、その規模において大阪・富田林のPLや淀川の花火大会には及ばないものの、充分に楽しませてもらえる花火大会である。
交通機関を利用して現地へ出向くわけでもなく、蒸し暑さを我慢する必要もない。
風呂上がりに冷たいビールを楽しみながら夕食を食べ、花火打ち上げが始まる午後8時を待つ。
打ち上げ開始を告げるドドドーンパチパチパチという音が響いたら部屋の電灯を消す。
続いてドドーン・シュルシュルシュル・パッ。
大輪の花火が夜空に広がる。
大きさ、色合い、はじけ方、形や模様なども様々。
全てを写真に収めたわけではないが、いくつかを紹介しよう。
デジカメで花火を撮影するのはイマイチである。
デジカメにはいろんな機能があるようだが、私自身がすべての機能を理解し使いこなせていないからであろう、自分が思うほどの写真が撮れない。
昭和30年からだったと思うが・・・父親が使用してきたニコンFを譲り受け、昭和45年以後私が使ってきた。 これならもっと多様な撮影が出来るのだが今ではカメラが重くてお蔵入りになってしまっている。
それに、最近は『凝る』ということが無くなってきた。
何事も、そこそこにという精神的後退感が・・・・・ いつのまにかジイサンの仲間入りをし始めているようだ。
もう何回目になるのだろうか。 子ども達の年齢から数えれば、かれこれ30回目に近いのかもしれない。
現在の住所に移り住んだ頃、周囲は松やクヌギなど様々な樹木が覆い茂る里山と棚田が広がる自然豊かな場所であった。
『孟母三遷の教え』ではないが、子ども達が成長する過程で『自然に親しめる環境を』と現在地に住居を定めたのであった。
まあ昔のことはどうでも良いが、花火の打ち上げ場所が現在の場所になったのは、子ども達が中学生の頃だったように思う。
丘陵の東端に位置する我が家から花火を鑑賞するのに何の障壁もなく、谷向こうに打ち上げられる花火を部屋の中から眺められる、将に特等席なのである。
1年に一度、夏の夜の30分間、その規模において大阪・富田林のPLや淀川の花火大会には及ばないものの、充分に楽しませてもらえる花火大会である。
交通機関を利用して現地へ出向くわけでもなく、蒸し暑さを我慢する必要もない。
風呂上がりに冷たいビールを楽しみながら夕食を食べ、花火打ち上げが始まる午後8時を待つ。
打ち上げ開始を告げるドドドーンパチパチパチという音が響いたら部屋の電灯を消す。
続いてドドーン・シュルシュルシュル・パッ。
大輪の花火が夜空に広がる。
大きさ、色合い、はじけ方、形や模様なども様々。
全てを写真に収めたわけではないが、いくつかを紹介しよう。
デジカメで花火を撮影するのはイマイチである。
デジカメにはいろんな機能があるようだが、私自身がすべての機能を理解し使いこなせていないからであろう、自分が思うほどの写真が撮れない。
昭和30年からだったと思うが・・・父親が使用してきたニコンFを譲り受け、昭和45年以後私が使ってきた。 これならもっと多様な撮影が出来るのだが今ではカメラが重くてお蔵入りになってしまっている。
それに、最近は『凝る』ということが無くなってきた。
何事も、そこそこにという精神的後退感が・・・・・ いつのまにかジイサンの仲間入りをし始めているようだ。
masatukamoto at 17:47│Comments(0)│TrackBack(0)│