August 25, 2011

韓国・済州島行 (4)

済州島紀行を書くのに随分間が空いてしまった。

韓国における再生エネルギーによるスマートグリッド化は2030年の完成を目指して既に2010年に策定され、済州島においては2011年までに完了させる計画で進められていることについて『韓国・済州島行 番外編のⅠ』で触れておいた。
pict-P1030420済州島風力発電
再生エネルギーという言葉は最近よく耳にするようになったが、地球温暖化の要因のひとつとされる二酸化炭素(CO2 )を排出する石炭・石油・天然ガスなどや原子力発電に用いられるウランなどの枯渇性エネルギーを除いて、枯渇せず自然現象のまま何度も再生できる地熱・風力・太陽光などの力を再生エネルギーと呼んでいる。

済州島で進められているのは『三多』のひとつである風を利用した風力発電であり、『風力発電産業の展望と市場育成方策 』(キョン・ナモ、 2009)によれば、済州島の風力発電の現状は下の図の通りである。
pict-img075
私が訪れた時には、島の東北部・城山方面では海上に何基もの発電機が建てられて海上風力発電団地が完成しつつあったし、既に何基もの発電機が稼働していたようであった。

上の図で分かるように風力発電機が設置されている地域が現在までのところ島の北部に集中しているのが分かると思うが、これは済州島の自然環境とも大いに関係しているものと思われる。

台風は8月に多く、年に3~8回やってくるらしい。 11月から3月までは北西の季節風が強く、5m/s以上の風は済州で42.5%であり、島の北側では長期にわたって強い風が吹き続き、済州島全域では年間の3分の1、つまり125日は強い風が吹くという気象状況だという。
pict-P1030426村の道と風車済州島が『三多島』とも呼ばれる理由のひとつ、強い『風』がよく吹くことは風力発電の利用が進んでいることからも分かる。

『三多島』と呼ばれる多いものの二番目に『石』がある。

家々を囲うように石が積まれているし、畑も石が積まれ、済州島のどこへ行っても石垣を目にしない場所は無いと言っても良い。 そして、この石垣の石は全て玄武岩である。

玄武岩については今更書くことでもないが、一般的にはマグマが上昇して地表部(海底部)で急激に冷やされて固まった火成岩であるとの理解で良い。 そのため結晶が成長せず、同じ火成岩であっても深成岩である花崗岩などとは粒状の大きさの違いだけで見分けることができる。 火成岩の分類は含まれる二酸化ケイ素(SiO2)の量などで行われるが詳細は省く。 また玄武岩質溶岩は流動性が高く、平らな場所に噴出すると、下の第三段階の図のように扁平な溶岩台地を形成する。

こうした玄武岩の分布は済州島の成り立ちを示し、その環境の中で暮らしてきた人々の生活にも大きい影響を与えてきたのである。

済州島の成り立ちについては以前に紹介している『済州、自然遺産と民俗文化』(済州特別自治道民俗自然史博物館 編 2008 )に形成過程を5段階に分けて説明しているのが分かりやすいので、下に概略を記すことにした。
pict-img076済州島地層形成史1
第一段階を120万年以前の火山活動期とし、この頃以前の済州島は韓国南部と陸続きであったが、広い範囲で地盤沈下が起きて海底に没し、未個結堆積物が基盤岩の上に堆積した。 その後、基底玄武岩が島の中央部一帯で噴出し、溶岩台地と楯状火山を形成した。 
(第一段階火山活動期)

pict-img078済州島地層形成史2第二段階は100万年前頃で火山砕屑性堆積物が堆積し、多くの海洋生物化石を含む浅海性海洋堆積層である西帰浦層が形成された。
(西帰浦層堆積期)



pict-img086済州島地層形成史3第三段階は70万年~41万年前の頃で、本格的火山活動によって大量の玄武岩が流出して、海抜数100mの楯状の扁平な溶岩台地(現在の済州島の海岸部にあたる辺り)の島が形成された。
(第二段階火山活動期)


pict-img087済州島地層形成史4第四段階では30万年~20万年前頃のことで、島の中心部で火山活動が再開し、多くの溶岩の噴出によって楯状火山ができ、この火山の噴火活動によって海抜約1600mの漢拏山火山体が形成された。
(第三段階火山活動期)


pict-img088済州島地層形成史5第五段階は20万年~2万5千年前頃で、漢拏山の頂上を中心とする火山活動が起こり、漢拏山を形成したマグマの上昇が島全体を隆起させ、城山日出峰のような水中爆発地形が海面上に姿を現した。

この時期と前後するように済州島全体に360以上の寄生火山が形成され、最終的に漢拏山の頂上に白鹿潭噴火口が作られた。
(第四段階火山活動期)

この済州島にいつごろから人類が現れたのか、これについては『韓国・済州島行(3)』で、「済州市西方の涯月邑ピレモ洞窟遺跡より発掘された各種打製石器や大陸系の褐色熊の骨などにより、7万年~3万5千年前頃」と書いておいたが、いつごろから人が住み始めたのか、つまり狩猟による移動生活であれ定住であれ、済州島が島として形成されて以後、いつから人が住み始めたかについては明らかにはなっていない。

李 興淑(イ・フンスク、明治大学文学部助手)が『韓国の祭祀及び巫俗信仰に関する諸論文の報告書』(古代学研究所紀要第7号)で、「ソウル大学の学術調査班の1959年度の調査では、2000年前と推定される石斧が発見された。」と書いていることから、最終氷期とその後の海進を考慮すれば6000年前~2000年前頃に島としての済州島に人が住み始めたと推測できるが、これはあくまでも想像上のこと。 

歴史科学では許されないことだが、夢物語の素材としては面白い。 続きは次回に。


masatukamoto at 09:29│Comments(0)TrackBack(0)

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