September 22, 2011

出雲・石見 (足立美術館 Ⅱ)

足立美術館は庭園美を誇るだけではない。

前のページで書いたように日本画、とりわけ横山大観の作品収蔵についてはトップクラスである。

私たちが訪れた時は大展示室で
『秋季特別展(日本画どうぶつ園)』が開催されており、大観のほか、橋本関pict-橋本関雪『玄猿図』(1)雪、榊原紫峰らの動物画が展示されていた。(足立美術館ページにリンクしている)

足立美術館のウェブ・ページでも数点の絵画を紹介しているが、1984年の夏に足立美術館を訪れた際に購入したカタログ『足立美術館名品100選』(昭和59年4月刊)が手元にあるので、動物画の一部を紹介したい。
上の写真は、橋本関雪『玄猿図』。
墨画であるが、松の枝に乗った微細な猿の毛並とともに四肢の動きを見事にとらえ表現しているところが素敵な作品である。

pict-竹内栖鳳『爐邊』(1)
左は竹内栖鳳の作品『爐邊』。

何ともカワユイ安心しきった表情のワンコである。 この絵は美術館のページでも紹介されているが、主題が『爐邊』。 爐の辺りという意味だが、昭和10年の作品であり、爐=炉は薪を燃やす暖炉か、石炭を燃やすストーブだろうか、火掻き棒が描かれているだけであり、見えない部分が見えるかのようにイメージをひろげさせてくれる絵である。

次の作品は、川端龍子の『愛染』(二曲屏風半双)である。(今回は小展pict-川端龍子『愛染』(1)示室に展示されていた)

これほどの紅葉が水面に浮く様子を実際に見ることはないと思うが、いつも雌雄一緒に泳ぎ、仲良し夫婦の代名詞でもある鴛鴦(おしどり)が泳いだ二つの大小の軌跡が絵全体に動きを与え、右下に青色で水面であることを印象付ける見事な構図であると私は思う。
この絵を観て、『愛染』という言葉の意味まで高められる感情まで私の理解は及ばないが、対象や色彩などこの絵全体から龍子が表現しようとするパッションだけは十分に受け止めることはできる。

pict-横山大観『冬の夕』(1)左は『冬之夕』(ふゆのゆうべ)。

これは大観の作品であり、私が好むもののひとつである。
うっすら積もった綿帽子の重みに僅かばかり傾いた椿の枝先に赤い花。 後ろの竹を淡く描くことによって手前の椿を引き立たせ、そこへ二羽の雀を描き入れることによってギュッと絵全体をまとめている。

pict-横山大観『紅葉』6曲屏風1双 合成
横山大観『紅葉』 (六曲屏風一双) 大観室に展示されていたが、前記のカタログ『足立美術館名品100選』(昭和59年4月刊)の2ページ分を合成してみた。

次は横山大観の作品で『無我』。 
pict-大観『無我』足立美術館これはカタログ『足立美術館名品100選』(昭和59年4月刊)に掲載されていないものなので購入したカードを写真にしてみたが、以前に訪れた折には観なかった作品である。

現在の足立美術館はかなり広い展示スペースを持っているが、私が初めて訪れた昭和47年(1972年)の夏には『大観展示室』というのは無かったように思う。 夏季特別展として大観ほか錚々たる日本画家たちの作品が展示されており、この『無我』はおそらく収蔵庫で休んでいたのではなかろうか。

横山大観の作品『無我』は切手の元絵となっており、東京国立博物館が所蔵しているものと思っていたものだから、今回足立美術館で見た『無我』も東京国立博物館から借りているものとばかり思い込んでいた。
ただ、「ちょっと違うな。」という思いが頭をかすめた程度であった。

東京国立博物館所蔵の大観の作品『無我』については手元に資料が無いので切手の絵を紹介するが、主題も対象も構図もほとんど変わりないのだが、明らかに異なpict-大観『無我』切手シートる点がある。

切手は近代美術シリーズ第16集として昭和58年(1983)に発行されたものだが、足立美術館の絵画『無我』と切手の『無我』では彩色が違っていることが一目瞭然。

このように並べ比べて見るとよく分かるのだが、作家は横山大観であり、主題は『無我』、対象の童子と立居姿、背景と位置など、ほとんど同一条件を揃えている二つの作品を時期や場所など別々の機会に鑑賞したなら余程興味を持って注視していなければ、この二つの作品が別箇のものであると判断するのは難しいことだと思う。 

難しいと思うのは私だけなのかもしれないが、二つの絵の異なりが更にはっきりするように切手の絵を拡大してpict-横山大観『無我』切手(1)みよう。

いかがであろうか。

この作品の主題『無我』というのは3点制作されているらしいのだが、そのことを知らなかったものだから今回足立美術館に展示されてある作品を観ても以前に足立美術館で観ていなかったこともあって美術館を出ても尚東京国立博物館所蔵の絵だと思い込んでいたのだ。

知らないというのは何と強いことか。 

旅行から帰り、大観とその作品について学習し直して初めて同じテーマの作品が3点あることを知った。 何と恥ずかしいことか。 知らないでいるということは恥ずかしいという感情をも持たないこと。 『無知の知』ではないが、いささか哲学的になるのでこの辺で終えておこう。
pict-『無我』水野美術館
ちなみに『無我』の三点目は長野市の水野美術館にあるという。

水野美術館は2002年に開設されたらしく私は訪れたことがないが、
美術館便りに大観の『無我』が紹介されているので引用・リンクしておく。

三点を比べ見るとそれぞれに趣きが感じられて良いものだ。


足立美術館では、林義雄の童画や現代日本画家の作品も多く蒐集展示されているし、河井寛次郎や北大路魯山人の作品を展示する陶芸館もあり、いずれにせよ日本画の収蔵・展示について、足立美術館はやはり我が国ではトップクラスの美術館であると言える。 

私の書架に『足立美術館陶芸名品選・河井寛次郎』(平成2年刊)があったが、いずれ寛次郎のことも紹介することになるかもしれない。

足立美術館について私の場合は日帰りができないというのが難点だが、文化・芸術が都市部に集中する中、地方に根を下し花を咲かせている足立美術館などは大いに応援したいと思う。



masatukamoto at 06:07│Comments(0)TrackBack(0)

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