December 22, 2011

四国~九州への旅 (5) 足摺岬~竜串海岸~宿毛フェリー

足摺岬の続きを書くつもりでいたのだが、風邪にやられてぶっ倒れていた。 全快宣言にしようと思ったのが13日であったが、それからもなおスッキリせぬまま数日を過ごし、振り返ってみれば何と1ヶ月も風邪菌にやられてたってことになる。 皆さん方も何卒ご用心のほどを。

ところで今回の旅の行程を下の図のように表してみた。
pict-旅行行程A
府県名しか書いていないが赤い線が自動車で走った凡そのコース。 青色の点線がフェリーを利用した部分である。 足摺岬は図で高知と記した所から赤線を伝って左下になり、その先ここで紹介する竜串海岸から宿毛までを赤線で記し、宿毛から大分県佐伯までを青色の点線で示している。

前に足摺岬のところで少し書いたが、地学の上で四国は随分オモシロイ地域なのである。 オモシロイと言う表現は適切でないかもしれないが、地学的にとても興味深いことが沢山あり、それが見え(観察できる)、更に想像を膨らませることが出来るという点でオモロイのである。
pict-マントル
左図の出典は
http://ja.wikipedia.org/
『内核』。 
作者 : Washiucho


現在では中学・高校で当然のように学習するプレートテクトニクス、つまり地球の中心には金属体のコア(内核・外核)があり、それを包む下部マントル、更にそれらを包む上部マントル、その上に地殻が覆うように構成され、上部マントルと地殻はほぼ一体のプレートと考えられている。 そのようなプレートが何枚か集まって地球面を作り、それらのプレートがマントルの対流によって移動しているという理論である。 このプレートは凡そ100kmの厚さがあると考えられている岩石の板状のものだが、日本が乗っかるユーラシアプレートや北アメリカプレート、それらに潜り込んでくる太平洋プレートやフィリピン海プレートのほか、オーストラリアプレート、南アメリカプレート、アフリカプレート、南極プレート、その他がある。

pict-プレート左図の出典はhttp://ja.wikipedia.org/ Plates tect2 ja.svg』。
作者:米国地質調査所USGS, Washiuchopict-米国地質調査所マークtb




プレートはユーラシアや北アメリカなどの大陸プレートと太平洋やフィリピン海などの海洋プレートに分けられマントルの対流現象によって移動している。 そして海洋プレートと大陸プレートの境界部分では比重の大きい海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込み様々な地殻変動を起こしていると説明しているのがプレートテクトニクスである。

下の図は3月11日の東北地方太平洋沖大地震が発生した際に作成したものだが、図に示すように西日本はユーラシアプレートの縁辺にあり、フィリピン海プレートと接している。 この接触境界線はGoogleマップEarthを見れば分かりやすい。 左図の赤線部分が深い海溝となっているのが視覚的に理解できる。 この海溝部分が南海トラフ(Nankai Trough)であり、地震などの地殻変動を起こす場所である。
プレート白地図(1)
厚さ100kmものフィリピン海プレートが海底に分厚く堆積したものを積んだまま南海トラフでユーラシアプレートの下に沈み込んでくるのである。 手と手をこすり合わせるだけでも手が随分熱くなるという経験を踏まえてこの地球運動のダイナミズムを考えれば、その圧力、摩擦、熱が想像を絶するものであることは容易に理解できることである。

断層の露頭は各地で見られるが、巨大な岩と岩の間の断層破砕帯は砕かれた小石や砂、土に変容している。 これの超大規模な動きが海底の圧力の高い海溝部分で常時続いており、そのためユーラシアプレートは巻き込まれ足摺岬あたりでは僅かずつであるが沈んでいるのである。 この沈み込みの力に対して摩擦力が限界に達した時、ユーラシアプレートには巻き込まれた分を元に戻そうとする力が働く。 これが私たちが感じる海溝型地震であり、3月11日の東北地方太平洋沖大地震もこのタイプである。 この時、地域によっては土地が隆起する所があったり、逆に沈降したりする所ができるのである。

これを四国の西部と南部に例をとってみれば、何万年も昔から続くプレートの移動によって繰り返し起きてきたであろう地殻変動の結果、南部の足摺岬の辺りは隆起して海岸段丘が形成され、少し北の宇和島辺りでは土地が沈下して沈降海岸となり、現在のような多島海を形成したのである。
pict-img106
今回のテーマとは随分話がそれてしまったようだが、足摺岬から宿毛へ向かう途中の竜串海岸をより理解する上においてプレートテクトニクスを抜きにして考えることはできない。
pict-P1040468
写真は竜串海岸の一部だが砂泥互層の地層が傾いて海水面上に露出している。 長く連なっているのは砂岩層であり、その間の窪んだ海水の溜まっている部分が泥岩層である。 

地質学上この竜串海岸辺りは足摺岬や室戸岬などと同じ 四万十帯に属しているが、この四万十帯は下の図の通り四国南部の地層であるが、東は千葉県の房総半島、西は九州、沖縄にまで広がるものであり、中生代白亜紀(1億4550万年~6550万年前)から新生代古第三紀(6550万年~2303万年前)にかけて形成された地層であることが含まれる化石などによって証明されている。

そしてこの四万十帯は付加体であるとされているが、この付加体こそプレートテクトニクスが最も明快に説明してくれるものである。 プレートテクトニクスと付加体について分かりやすい図があったので紹介したい。
pict-付加体・美祢市立秋吉台科学博物







上図の出典は美祢市立秋吉台科学博物館
http://www.ymg.urban.ne.jp/home/akihaku/kagaku.site/oitachi.site/oitachi.html
『秋吉台はどこから来た』

図のようにマントルの対流によって海洋プレートが移動するが、何万年という時間の中で海山が出来たり海洋生物などの堆積があったり、そうしたものを載せて大陸プレートの下へ沈み込んでいく。 この際、大陸プレートに削り取られるように海洋プレート上の堆積層が次々と溜まるが、この溜まったものを付加体と呼ひ図上茶色に示され
ている部分である。 その付加体が徐々に徐々に押し上げられていく。 やがて摩擦力が限界に達した時、大陸プレートが隆起する。 これが地球時間という長い長い連続の過程で繰り返し繰り返し行われて浅海底をつくり、やがて海水面に現出する。
竜串海岸はこうして出来上がったものである。

ついでなので四万十帯について建設省四国地方建設局の四国地方土木地質図より地帯区分図を紹介しておこう。
pict-四国地帯区分図
区分図を大まかに見れば、四国の地質は横切りにして4つの帯に分かれると見れるかも。 地質学上許されることではないが、北部の二つは領家変成帯と三波川変成帯、その南に秩父累帯(黒瀬川帯・三宝山帯を含む)があり、四国南部はほぼタテ線の四万十帯である。
しかしタテ線の地帯も土佐湾と宿毛湾の文字の部分に引かれた線を境に線種が異なっているのが分かるだろうか。 これは北側が白亜紀層で南側が第三紀層であることを示しているのだが、中生代白亜紀というのは地質時代としては先にも書いたが1億4550万年~6550万年前のことであり新生代古第三紀は6550万年~2303万年前を言い、当然白亜紀の方が時代としては古い。
pict-P1040467浸食(1)
古い新しいということでは地層の場合は下から順序良く堆積するものであり、これを地層累重の法則と言い褶曲など地殻変動を受けない状態では下部ほど古く、上部へ行くほど新しいというのが大原則なのだが、この四万十帯の場合は北ほど古く南へ行くほど新しくなっている。 これは上に美祢市立秋吉台科学博物館の図を示したように付加体として溜まっていったものが後から後から溜まってくるものに押し上げられていったためとプレートテクトニクスによる説明で納得できようかと思う。
つまり地帯区分図でも分かるように竜串海岸のあたりは新生代古第三紀(6550万年~2303万年前)に形成された新しいものであり、3000年~2000年前頃に隆起したものだろうと考えられている。
pict-P1040465たまきび
上の写真は砂岩上に生息するタマキビの群れと、砂岩層が形成される際に石灰質などの沈殿物が塊(茶色)となったものでノジュール。  小さな巻貝の集団は形や模様からイシダタミであろう。 こ奴は潮間帯の生き物としては極々一般的である。 生息場所として海水の近くを好むけど海水に浸るのは嫌いらしい。 学生時代のことだが瀬戸内海・鹿島で漁師の息子に『イソモノ』としてイボニシ、イソニナと共にイシダタミも海水で茹で、おやつとして頂いたことがあった。 針でほじくって食べるのだが磯臭いが私は好んで食べたことを思い出す。

それにしても地球科学では2000万年前でも新しいと表現するのだから・・・  私たちなら商品の賞味期限はと、せいぜい何ヶ月ぐらいかを基準に新しいとか古いとか判断するのだが地学の連中と話しているといつも頭の切り替えに忙しかったことを思い出す。
pict-P1040464コンボリューション
写真のような渦巻き状のものが地層内に見られるが、これは地層が固まる際に堆積状態が乱れる何らかの原因、地震のようなものかもしれないし、その他の何か変動が起きて安定しないままに固化してしまったものであろう、こうしたものをコンボリューションと呼ぶが、一体どんな出来事が起きていたのだろうか。
pict-P1040476ハマニガナ(キク科)竜串海岸
写真の花は竜串海岸の浜で見つけたハマニガナ。 写真の通りキク科の植物である。 塩分に強く水分が充分でなくとも逞しく強かに生きている凄いやつである。

平日だったということもあるのかもしれないが、私たちが竜串海岸を歩いていた時、ひと組のアベックが訪れていただけで、コンクリート造りの中国風建物のサンゴ博物館は閉鎖され、屋根には雑草が生え放題で全く放置されたような状態であった。 広い無料の駐車場に私の車と他に1台。

観光客?見学者が少なく静かに落ち着いて見てまわれることは私にとってはこの上なく素晴らしいことなのだが・・・
 
竜串海岸ではもっとゆっくり時間を取っても良かったのだが、フェリーの時間のことや今夜の宿のことが頭をよぎり宿毛フェリー埠頭へ急ぐことにした。
pict-宿毛フェリー航路私の理解では、現在四国と九州は宿毛フェリー(高知・宿毛~大分・佐伯)、宇和島運輸フェリー(愛媛・八幡浜~大分・臼杵、愛媛・八幡浜~大分・別府)、国道九四フェリー(愛媛・三崎~大分・佐賀関)の三社4航路が営業している。

ここで私たちが利用したフェリーが高知県・宿毛港と大分県・佐伯港を結ぶ宿毛フェリーで所要3時間10分。

船が嫌だと言う家内がギリギリ許容できる乗船時間である。 嫌な理由は船酔い。 これは私も同じこと。 小さい船での長時間乗船は私も嫌である。

もう40年も昔、私たちは新婚旅行先に九州を選んだ。 大阪からの新婚旅行先は、昔、有馬、その後に白浜、そして九州・別府から宮崎へと人気のある場所が時代とともに変化していった。 受入れ先の観光地化への努力と交通機関の発展が人気の高い場所を変えていったのである。 多分、九州に向かった新婚グループでは私たちが最後のほうになるのだと思う。 当時、宮崎へも飛行機で向かう新婚客が多く、私たちの後にはハワイへ向かうpict-P1040477ニューあしずり者たちが徐々に増えていたから。

私たちは往路を関西汽船の別府航路。 復路を宮崎・日向港からサンフラワーで大阪港へと飛行機を利用せず極力旅行日数を有効に使うことを考え夜行船便にしたのであったが、瀬戸内海は春の嵐、外洋も風が強く1万トン級の船も揺れがひどく、以来私たちは船がダメだと思うようになってしまった。

しかしその後、私は船酔いについては解消。 家内も青函フェリーで自信をつけ、コペンハーゲン~オスロ間、ストックホルム~ヘルシンキ間の船中泊でも問題なく、と言っても北欧航路の船は6万トン近い、百貨店のビルディング並みの大きさの船だから酔うこともないのだが、解消している。 ともあれ宿毛から日に3便(0:30発 08:00発 16:00発)の最終便に乗船することができた。

佐伯港着が午後7時過ぎ。 車を走らせることができるのは7時半になるだろうと予想して宿毛フェリーターミナルでも船中でも佐伯のホテルを探すことができずT君やY君にホテル情報を送ってもらうように依頼。 世話をかけてしまうこととなった。 その情報によって佐伯のホテルに船上より宿泊予約を行った。 が予想した通り、11月の午後7時半過ぎの佐伯の町は既に真っ暗。 ともかくもホテルに何とかチェックイン。



masatukamoto at 23:03│Comments(0)TrackBack(0)

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