January 31, 2012

四国~九州への旅 (13) 大隅半島から薩摩半島へ (指宿・いわさきホテル)

まず今夜の宿を指宿と決め、観光雑誌に載っているホテルの中から家内が選んで予約するという、これがいつものパターン。  都市部や大きい温泉地など一部のホテル・旅館の一覧表なので全てが掲載されているわけでなく、しかも写真などが無いので家内が選ぶ範囲や基準は限られたもの、つまり部屋数が多いとか私達が宿泊費として支払い可能な金額かどうかと、これくらいのことで後は『勘』のみである。

大隅半島と薩摩半島間の最短コースは桜島フェリーで錦江湾を横切るルートであるが、佐多岬から桜島までは約100kmあり、海を渡ってから又かなりの距離を戻ってこなければならない。  他に垂水港から鹿児島港へのフェリーもあるが、垂水まで約70kmあるので、今回のように佐多岬から指宿への最短コースは大隅半島側の根占港から薩摩半島側の山川港を結ぶ『フェリーなんきゅう』を利用するのが一番である。
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佐多岬ロードパークの道路から国道269号線の田之崎へ出れば、あとは海沿いの道を北へ走れば良いのであるが、こんな時に限って前に警察のパトカーが・・・

1日4便のフェリーで、根占出航が14時30分。 これを逃せば16時30分の便で終了のため何とか乗りたいのだがトロトロ。  こちらの意を察してくれたのかどうか、白黒パンダちゃん、車を左に寄せて先に行かせてくれたので、これ幸いとスピードを上げるもんか。ははははは。さすがに直ぐにスピードを上げるほど私は図太い神経を持ち合わせてはいない。  徐々に徐々にパンダちゃんとの距離を空け、その姿がルームミラーから消えるのを待って車の速度を上げていき、根占港に到着したのは14時20分。 フェリーは空いていたがギリギリのセーフ。 船の作業員に急かされ無事乗船。   ※ 写真は根占港を出港したフェリー『なんきゅう』から港方向の景色。
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指宿市の山川港まで約50分の航程。 未だに船が弱いという家内だが、この程度の距離なら大丈夫だろうと、今回の旅行では2度目の船となった。

山川港に近付き、前方に開聞岳の姿が見える。

港へ着いて直ぐにホテルへ宿泊を依頼。  今夜のホテルは『いわさきホテル』に決まった。

宿泊先が決まると気持ちも落ち着くもので、折角だから周辺の観光でもしていくかと車を走らせた。 鰹節と台風で有名な枕崎へでもと思ったのだが、往復の所要時間などを考えると今回はパス。  でも、枕崎という名前は何となく興味をひかれる。 私が子どもの頃の台風情報では、「〇〇台風は枕崎南方〇〇キロメートルの海上を北北東に・・・」などと、日に何度も枕崎の名前を耳にしていたから。
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で、閉園時刻間近の長崎鼻パーキングガーデンへ。  ここは亜熱帯植物が園内に多数植栽され写真のように秀麗・開聞岳のほか、晴れていれば屋久島の宮之浦岳まで見ることのできる所なのだ。  入園料は1200円。 むむむむむ、あとで分かったことだが『フェリーなんきゅう』利用者は200円引きという特典があったのだ。  でも閉園間近ということもあって切符切りのオバチャンが600円に。 つまり一人分の料金で入れてくれた。

※ ハイビスカスの花と開聞岳の写真は今年の年賀状に用いたもの。  私は気に入っているのだが、でも少し観光写真的かな? とも思う。
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左の写真は長崎鼻。

長崎鼻も岬のひとつで、写真では分かりにくいが小さな白い灯台が建てられている。

季節的に陽が落ちるのが早くなっており、長崎鼻パーキングガーデンを出る頃には薄暗くなっていた。

『いわさきホテル』へは道に迷うこともなく到着したのだが、ホテルの敷地に車を入れた途端、以前に来たことがあると記憶中枢からの猛烈な信号送信を受けた。
目前のホテルの建物は違った信号を送ってくるのだが、私の記憶は間違いなく正しいと言ってくるのだ。

ここへ初めて来たのは半世紀前、大阪の高校の修学旅行の時であった。
当時大きい温室のような構造物の中に熱帯・亜熱帯の植物を多数植栽し、その中に幾つもの湯船を配置してジャ
指宿・いわさきホテルングル風呂と称し、これが結構有名であった。

次に、高校の卒業式を控えた頃だったか、同級生3人で訪れ、この時はお金も無かったのでホテル敷地の砂浜にテントを張らせてもらって一夜を過ごした。 この時、ホテルスタッフのお嬢さん、私達より年齢は2つか3つ上であったが、親切にしてもらった。 バスケットにパンなどを入れて朝食を持ってきてくれたし、ジャングル風呂の入浴券も頂いた。

三度目にやってきたのが私達の新婚旅行。 この頃、の『いわさきホテル』は『指宿観光ホテル』という名前だったのだ。  私の記憶に間違いないと、チェックインの際にレセプションのお嬢さんに尋ねてみた。

案の定であった。  しかし、レセプションのお嬢さんは当時生まれてもいなかったのだから『指宿観光ホテル』のことはホテルの沿革史として知っているだけ。  施設は変わってしまったが何となく懐かしい思いに浸った日であった。  ※ 『いわさきホテル』の写真はホテルのパンフレットより。


masatukamoto at 14:17│Comments(0)TrackBack(0)

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