February 27, 2012

四国~九州への旅 (21) 国東半島めぐり

元宮磨崖仏の直ぐ近くに『真木大堂』がある。

『真木大堂』は六郷満山の本山寺院のひとつである馬城山・伝乗寺に属するお堂のひとつ。 伝乗寺は仁聞菩薩の開基で奈良時代(720年頃)に建てられ、最盛期には36もの寺坊を有していたというが、700年前の火災で現在建物は残っていない。
pict-img1293年半前に訪れた折には『真木大堂』の覆屋工事のために境内への立ち入りが禁じられていたが、今回は工事も終わり再び安置された仏像をゆっくり拝観せて頂いた。 

本尊は木造漆塗りの阿弥陀如来(坐像)で平安時代後期の作品で重要文化財。 

覆屋の内部は写真撮影禁止となっていたので絵葉書を購入した。 藤原時代の優しい表情がよく表れている。

阿弥陀如来と同様、前回も関心を持って見たいと思っていたのが大威徳明王と不動明王であった。 とりわけ大威徳明王については
京都・醍醐寺の霊宝館にある大威徳明王の印象を強く持っていたので、拝観し比較出来て良かったと思っている。
(参考・・・醍醐寺の大威徳明王像にリンクしている)pict-img131

大威徳明王というのは五大明王のひとつ。 明王とは仏の教えの分からぬ衆生を救い導く阿弥陀如来が変身したものである。 五大明王、つまり不動明王を中心に東を隆三世(ごうざんぜ)、南に軍荼利(ぐんだり)、西に大威徳(だいいとく)、北に金剛夜叉と配置が決まっている。 これら明王はいずれも恐ろしい顔をしているが、人間が仏法を素直に理解し仏道を着実に歩もうとしないため阿弥陀如来が憤怒の形相をした明王に姿を変えて現れているのだそうな。

大威徳明王は水牛に乗って六面六臂六脚を持った姿で現れる。 つまり六道(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界)をしっかり見つめるための6つの顔。 6つの腕で剣などの武器を用いて悪行を懲らしめ、6つの足(布施・自戒・忍辱・精進・禅定・智慧)について常に反省を行いつつ歩むという姿勢を表しているのだとか。
pict-img132醍醐寺の大威徳明王像の水牛は歩いていたが、真木大堂の水牛は写真の通り這いつくばっている。 表情も異なるし武具も違う。 制作した者も時期も違うから当然と言えば当然だが、大威徳明王がどのような仏なのかは教えの中で書かれ語られしているはず。  しかし、読んだり聞いたりして教えられた様々ななことを統合して具体物(像)を創造するには、それを造り出す者(制作者)がどのように受け止め得たのか製作者自身の感性との関わりの中で形作られるものである。 

感性にまで立ち入ると話がややこしくなるので止めておく。  恐らくは何らかの『ひながた』があったであろうとは思うが、100%模倣ということでもないと思う。 真木大堂の大威徳明王像の六面の憤怒の表情には、製作者自身の怒りや憤りについてのイメージとともに阿弥陀如来の広大無辺の優しさに対する畏敬と心服の思いが込められているように私には思えた。
pict-img130
剣を持って立つのは不動明王である。

不動明王は大日如来が衆生救済のために姿を変えているとされている。

先に五大明王は衆生を救い導く阿弥陀如来が変身したと書いたが、ここでは大日如来がと書いた。 いったい阿弥陀如来と大日如来とどう違うのかと疑問を持たれることであろう。 仏教学(界)では薬師如来や釈迦如来も含め詳しく解説してくれるだろうが、それらに縁遠い私にとって、全ての仏(如来・明王・菩薩など)は現世(娑婆)において『仏法に基づく生き方を求めよと語りかける存在』と解釈している。  ともあれpict-P1040762国東塔人間とは業・欲の煩悩すさまじい生き物であり、あまねく衆生救済の弥陀の心などスンナリとは理解できないものである。 不動明王が右手に剣を左手に縄を持って恐ろしい形相で立つのは何とも聞き分けのない衆生を無理強いしてでも助けたいという思いを表しているのかもしれない。
 
※ 上の写真は、いずれも『真木大堂』で購入した絵葉書である。

上は国東塔と呼ばれる宝塔。 五輪塔の造りと似ているけれど、上部が円柱状の相輪になっている点や球状の水輪の下が五輪塔の場合は地輪と言って立方体になっているのだが、国東塔では蓮華花弁になっていたりする。
pict-P1040764五輪塔の場合は墓であったり供養塔であったりするが、国東塔の場合は生前に自らの死後の供養のために建立する逆修(ぎゃくしゅ)というものが多いらしい。
真木大堂の境内には近隣で発見された庚申塔や石櫃など多数集められている。

写真は真木大堂の仁王。

真木大堂の見学を終えて後、富貴寺を訪れた。 富貴寺は718年(養老2年)の創建だから、平城京遷都がpict-P1040775710年であることを考え合わせると国東半島では随分早い時期から仏教文化の花が咲いていたということになる。
この後に両子寺も訪れたが以前に訪れた際のブログに写真を掲載しているので、ここでは省くことにする。

ただ1枚のみ。 前回は新緑の季節だったので、今回は両子寺の晩秋のものを。 

参詣者も結構多かったのだが、いつのまにか私たち夫婦と数人が境内にいるだけ。肌寒さを感じ始めたので駐車場へ戻り、またまた今夜のホテル探し。  長らく博多へ行ってないので走っても良かったのだが、疲れてもいたので家内の提案通り別府に宿をとることにした。

別府なら豊後高田・宇佐を経由して宇佐別府道路を走れば近い。 宿はどこでも良いのだが、何度も利用している花菱ホテルに決めた。 ここなら迷うこともなく行けるので、豊後高田の『昭和の町』へ寄って行くことにした。

しかし日曜日の夕刻ということもあってか、商店は閉まって人通りもなく、車で素通りしただけ。 せっかくだからと家内にも見せてやろうと思ったのだが残念。


masatukamoto at 16:39│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
記事検索
月別アーカイブ