April 16, 2012

≪山菜≫ Uさんに感謝

さん、いつも有難う。

今年も3月3日にフキノトウ(下の写真)を、下旬にはタケノコを頂戴した。

pict-P1050352フキノトウそして昨日(4月15日)は、ワラビ、タラの芽、コゴミ、それにタケノコを頂いた。

タケノコの調理の第一段階は糠と共に煮てアクを取ることから始まるが、糠漬けを漬けない我が家に糠は無いので寿司屋の大将 氏が湯がいて間もない状態のタケノコを届けてくれた。

Uさんはタケノコを掘ると直ぐに寿司屋の 氏の元に届けてくれるため、大将の店では生のまま、タケノコを刺身として頂いている。 掘りたてのタケノコはアクを全く感じなくて美味しいものである。
 
さんが摘み、 氏が運び届けてくれた山菜を写真に撮ってみた。

下の写真が頂いたワラビである。 ワラビもアク抜きをしなければならないが、昔の人たちは草木灰の上澄み液を用いていた。 草木灰は農業肥料として用いられてきたがアルカリ性の強いカリ肥料であり土壌改良材としても使われてきており炭酸カリウムが主成分である。 
pict-P1050446わらび現代ではそうした草木灰汁でなく重曹と呼ぶ炭酸水素ナトリウムを用いてアク抜きするのが殆どである。 いずれもアルカリによってワラビ表面の細胞壁を溶かし、主として苦みなどの不味成分を溶出しやすくさせているのだ。 だからアク抜きの際には重曹の量や処理時間を加減しないと折角のワラビもズルズルドロドロの状態になるだろう。 そんな状態のワラビを見たことはないが、アク抜きの処理液の
pHが高いほどワラビ組織の軟化が促進され、灰液>灰木液>木灰上澄液>重曹液>水道水の順に高くなるという実験報告(畑 明美、京府大名誉教授)が日本調理科学会誌に掲載されている。

次の写真はタラの芽である。 タラの木肌は灰色っぽく、その木肌全面に棘があって触るとイタイイタイ木である。 冬場に羽状の葉を全て落とし、翌春枝先の芽をふくらませるのだが、私たちはその新芽を摘み取って湯がいたり天ぷらにして食べる。
山菜料理なるものがブームになって随分になるが、そのためか早春の頃より山へ入る人をよく見かけるようになった。 このことは別に責めることではないが、タラの芽の全てを摘んでしまう人や、ワラビやゼンマイなど手当たpict-P1050450タラの芽り次第全て摘んでしまう人が中にいるのは残念なことである。 翌年のため、或いは他の人たちのことも考えてほしいと私は思うのだが、山菜摘みに限らず何だか世知辛い世の中になったものだ。

私が子どもの頃には山菜などというものは言葉も含めて身の回りには無かった。(と思う) 
大阪の町中のことで市場に野菜があるだけ。 その他の植物は単に草と呼んだりツクシやタンポポなど特定のものだけは植物の名前で呼んでいた。  ツクシやタンポポなどが山菜の範疇に入るのかどうか知らないが新淀川の堤防や大阪市の周辺域(現在の堺市、八尾市、東大阪市など)では多く見られた。
戦時中は食糧も無くサツマイモどころかイモのツルまで食べたことを聞かされ知っていたが、ツクシやタンポポも食べられることを知り、小学校の5年生の頃だったと思うがタンポポは湯がいて、ツクシはハカマを取って炒め、塩とコショウだったか醤油だったかで味付けて何度か食べたことがあった。 特段に美味しいとも思わなかったが、食材の量に対して出来上がった量が余りにも少ないことにショックを受けたものだった。

私が山菜という名前に接し、同時に東北地方を訪ねてみたいと思うきっかけになったのが、太宰治の作品『津軽』を読んだことからだった。 太宰治は青森県津軽半島・五所川原の金木の出身である。 作品では東京に住んでいた私(津島修治=太宰治)が帰郷して津軽の各地を紹介する内容になっているのだが、「津軽半島の梵珠山脈は、(略)山菜の豊富をもって知られているのである。半島の西部の金木地方も、山菜はなかなか豊富であるが、この蟹田地方も、ワラビ、ゼンマイ、ウド、タケノコ、フキ、アザミ、キノコの類いが、町のすぐ近くの山麓から実に容易にとれるのである。」と書いているのである。
pict-P1050454こごみ
これに触発され(でもないが)昭和37年だったか、上野駅から東北本線の急行で仙台へ向かう途中、いよいよ『みちのく』へ入って行くという栃木県の黒磯駅で『なめこ汁』を味わったのが私の山菜というイメージの中での最初のものであった。

写真は、こごみ。 シダの仲間であるが、クルクル巻いた部分が伸びて成長するとソテツのような葉を茂らせるので草蘇鉄という名前を持つ植物である。 写真のような状態のものはアクがなく、サッと湯がくだけで酢味噌でもポン酢などでも美味しく食べることができる。 少しヌメリ感のある食感や鮮やかな緑は将に春を食す満足感に浸らせてくれるものだ。

さて、山菜とは山に自生する野菜と広辞苑にはある。 しかし、昨今大概のものが栽培されているので自生という言葉で括ってしまうと山菜と呼べるものが無くなってしまうのではと思える。 太宰が例に挙げたもののうち、ゼンマイ(乾燥)、タケノコ、フキは私が小学生の頃に食べているし、キノコでは松茸はよく食べたしシイタケも乾燥したものだがこれもよく食べた。 だから昭和37年頃に私が思い描いていた山菜というのは、山に自生する野菜であって商品として多く流通しない、更に田舎・山・谷・渓流などを思い浮かべさせるようなものに限定していたように思うのだ。

ここに写真で示したフキノトウ、ワラビ、タラの芽、こごみ、こういったものは未だ大量に栽培され流通していないものだと思う。 つまり、私にとっての山菜のイメージに合致するものであり、これらを摘み取ってきて頂いたさんには、その労力や、喜ばせてやろうという気持ちも含め感謝の気持ちでいっぱいなのである。 重ねてさん「ありがとう」。 そして、新鮮な摘み取って直ぐの状態で運び届けてくれた 氏にも感謝する。 誠に有難いことである。 ≪深謝≫ 



masatukamoto at 18:25│Comments(0)TrackBack(0)

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