June 22, 2012

最近の嬉しいこと (3) くだもの

旬の話題にタコやハモを取り上げたので果物からも。

果物も旬というのが分からない世の中になってきた。 昔は温室(ハウス)栽培などというものはなく、季節・気候など自然条件にそって実が成ることを願い収穫を待ったものである。

私はイチゴが好きで、母親がイチゴに砂糖と練乳をかけたものを出してくれるのが楽しみであったが、これは5月から6月にかけての頃にしか食べることができなかった。 他の季節に食べたいとせがんでもイチゴが無かったのである。 ところがどうだろう。 その当時から60年を経た今年、私は1月以降つい最近までイチゴを食べてきた。 品種改良、栽培地域の拡大、ハウス利用など栽培方法の変化、輸送方法の向上など様々な工夫や改善の結果、一年を通して市場出荷が可能になったのである。

いつでも、どこでも、好物が食べられるという喜びを感じることができて良いのだが、『旬』というものがいつなのか分からなくなってきたことは少し淋しい感じがする。

私の場合だが、イチゴに続く好物がサクランボ。 サクランボは6月から7月に実の収穫が行われるので、このpict-P1050644A時期が『旬』であり、私が思い存分食べることのできる時期でもある。 つまり、市場への集荷量が多くなるので価格が安くなるのだ。 『旬』が今の時期のサクランボだが、このサクランボも真冬に売られているのだ。 綺麗で大きい粒揃いの箱詰めを頂いたことがあり、幾らだったのか価格も気になったが、どこで、どのように桜の木を栽培しているのか大変気になったことがある。

商品として出荷するためにはある程度の量を確保せねばならないが、桜の木一本でも温室は相当大きいものでなければならず、収穫量を増やすためには桜の木の本数を増やさねばならない。 結局、考えが及ばず気候が日本とは反対の南半球のどこかの国で収穫したものを輸入したのかと・・・いまだに正解を得てはいない。

ところでサクランボも品種が増えたが、やはり味わいや色つやなど総合的に評価すれば佐藤錦(写真・上)が特等であろう。 ただ難点は価格が高いことであり、私は他の品種、例えばナポレオンや南陽といったものも食べる。

先日、果物屋のオバハンが「新種やねん。」と、チョコレートのような色合いのサクランボを薦めてくれた。

pict-P1050652小さな恋人「なんや、アメリカンやないか。」と応じたものの、写真の通りサクランボの表皮の色つやが滑らかで明らかに違うのである。 しかし、アメリカン・チェリーと何かを掛け合わせたモノであることは間違いない。 では、味わいはどうか。 うーーん、果汁多く甘いし果肉もたっぷり付いている。 目をつむって食べたなら噛み応えも含めて特等とするかもしれない。

先に断っておかねばならないが私は面食いでも初物喰いでもない。 ぶっはははは、人間に対しても果物に対しても、デ、ある。 大切なのは中身。 だが、見た目を全く気にしないかと言えば否と応えねばならない。 何に対しても『良さ』というものを初見で感じ取るということは困難であり、そのことと合わせて大切なものが中身であることを踏まえて長い人生を歩ませてもらった。 こうした面では『おませ』だったかも。

時に若い人たちのお見合いを設定することがあるが、「人となりを初見で感じ取るということは困難」、このことを私は必ず前段で話すことにしている。 しかし、以前と違って最近では結果を早く得よう、出そうという風潮が強く、私の思いとは相容れない行動を示す人が増えているみたい。
pict-P1050649巨峰
旬の果物について書いていたのに横道へ・・・私のクセなのかも。

サクランボの旬が過ぎようとする頃にブドウの巨峰が果物屋の店頭に並ぶ。 これもハウス物は早くから、真冬でも値段は高いが買おうと思えば買えるのだ。 写真の巨峰は大阪・泉南のハウス物である。 まだ粒が小さいから房自体が小振りで甘味も少ない。

巨峰に先だってデラウェアが出るが、私は巨峰が好き。 特にジベレリン処理した種無し巨峰が大粒で甘く、種を出す必要が無いので大好き。 どうも小魚の骨同様ブドウやスイカの種を出すのが下手くそなのは舌の動かし方が器用ではないということかも。 滑舌は悪くはないのだが・・・

もう少しすれば岡山の種無しピオーネが出てくる。 7月から8月にかけて我が家の果物はピオーネが中心となる。 ピオーネという品種が開発される前は巨峰が中心であったが、ここ数年はピオーネが首座に座ってるって感じかな。

勿論、他の果物を食べないわけではない。 スイカもメロンも食べるには食べる。
pict-P1050655イエローキング写真のイエローキング(マクワウリの品種改良か)のようなものも食べる。

子どもの頃にはマクワウリを食べてたかな? 何となく青い匂い、ウリの匂いなのだが、私はあまり好きではなかった。 やはり甘くてマクワウリよりも食感の軟らかいスイカの方が好きだった。

昭和25、6年頃のことだった。 母親に連れられて行ったお風呂屋さん(銭湯)の帰り道、ガラスケースの中の氷の上に三角状に切られた赤いスイカが並んでいるのだが、それを一切れ買ってもらって食べるのが夏の夕刻の楽しみであったことを思い出す。

当時は果物の旬がはっきりしていた。 旬(季節)がはっきりしていたくらい市場に出回る果物の種類が少なかったということでもあるのだが・・・何もかもが溢れる幸せを当たり前と思ってはならない。

自戒・自戒、嬉しく思えることに感謝である。


masatukamoto at 06:29│Comments(0)TrackBack(0)

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