August 28, 2012

懐旧の集い三連 その3 の B

炎天下の長浜の町の見学を終えて私たちはJR長浜駅の西口に集まった。 昼食を予約していた北ビワコホテル"GRAZIE"からの迎えのバスが待機してくれていたからだ。 

ホテルまでの移動は僅かな時間なのだが、冷房の効いた車内は将に天国。 ホテルの名前じゃないが、待っていてくれたドライバー氏に「グラーチェ、グラーチェ」。

さて、この北ビワコホテル"GRAZIE"がいつから営業しているのか私は今回訪れるまで全く知らなかった。 と言gratze-1うのも湖東、湖北、北陸(取り分け福井市)は行こうと思えば何時でも行けるからと、これまで旅の通過点であり、立ち寄ることも目的地にすることも無かった土地だったからである。 未だに私が訪れたことのない県庁所在地が3市ある。 その県下にある町や観光地などは訪れていても県庁所在地に立ち寄っていないのである。その3つの内のひとつ
が福井市であり、他は群馬県前橋市と栃木県の宇都宮市である。 いつでも行けるということ以外に、当該の市にpict-P1050754修整は悪いが訪れたくなるような魅力に乏しいのである。
コレハ私ノ個人的興味ト関心ニ因ルモノデ当該ノ市ヲ悪ク言フツモリハナイ。念ノ爲書キ添エテオク。


写真の I は後輩だが福井市の中心に住まいしているので、幕末の宰相の一人・松平春嶽に関わる遺跡などは沢山保存されているのか問うてみたところ、結構アルアルといった返答だったので、デハデハ福井へ行ってみようかという気に少しなっている。


話が横道へ反れてしまったが、長浜港に隣接して建つ北ビワコホテル"GRAZIE"はイタリア・ヴェローナをイメージして建てられたリゾートホテルだというのだが、ロビーに入った途端、なるほど、と思えるイpict-北ビワコホテル・グラツィェ外観ンテリアに満ち満ちていた。


ホテルの全景を写真に撮りたかったのだが無理だったのでウェブページの写真を拝借したが大きく立派な施設であった。


私たちは昼食のみの利用で部屋を借りたのだが、日本料理"竹生島"の料理は値段の割に先ずまず満足できる内容であったし、部屋を担当した若いお嬢さんの接客姿勢もすこぶる良いもので、私たちの懐旧の場を一層素晴らしいものにしてくれた。

pict-GRAZIE竹生島にて強いて言えばビールの銘柄についてお嬢さんに注文をつけたが、この件については直ぐに解決してくれたので、この件についても好印象をもった。 実は宴席にアサヒとキリンしか用意してなかったので、私はサッポロが欲しいとお嬢さんに言ったところ置いてないという返答だったので、「このホテルは立派な大きいホテルだから置いてないということはないはずだから尋ねておいで」と、お嬢さんに言ったのである。


心の中では「このオジン、うるさい客だ」と思ったかもしれないが、それから暫くして「ございました」と笑顔でサッポロ黒ラベルのビンを私の席に持って来て竹生島プレート-2くれたのである。 勿論手間をかけたことに対する感謝の言葉を私が語ったのは当然のことだが、彼女もうるさいオジンが満足してくれたことで心の中も笑顔になったことだろうと信じたい。 僅かな対応で客の心証は変わるものである。 日本料理"竹生島"で提供できるお酒の銘柄は勿論だが、提供される料理や素材まで悉皆知るには彼女はまだまだ若すぎる。 が、こうした応接の場を沢山踏むことでお嬢さんは更に更に力量を身に付けていくことだpict-P1050761修整ろう。 是非ぜひ頑張ってほしいものだ。 


40数年前、私たちも上席の者から期待されていたのであろう、この宴席担当のお嬢さんのようにだ。 


ところがところが40数年というのは随分の歳月である。


「えーと、あれは・・・、何やったかなあ」「ほらっ、アレ、アレやがな」「何かしよう思うて・・・、何をするつもりやったんやろ」


こうしたチョイボケが随分多くなったことをこの会の出席者は皆自覚していると思う。 立って語っている K (写真)のことではない、念のため。

(しかし、左隣の O はフフフ、右隣の Y は俯いてクスクス、右端の I は怪訝な視線を K に向けているので・・・)


K とは互いの子ども達が小さかった頃、家族同士奈良で会っているので40数年ぶりということはないが、それでも30数年ぶりになるだろうか。 学生時代にはポニーテールの髪型で白いブラウスに黒のスーツと典型的な女pict-清滝キャンプ-1子大生の恰好をしていた。 この恰好は左隣の O も一緒であった。 当時 K は背が高く、私より高かったように記憶している。 そのためもあったのか黒いロウヒールの靴を好んで履いていたように思う。 


ところがこの日、 K を目の前にして思わず語り掛けた言葉が、「背が縮んだか?」であった。 私も学生の頃からすれば1~2cm身長が低くなっているのだが、その私よりも猶低く感じたのだ。


モノクロームの写真は京都西方・愛宕山へテントを担いでキャンプに出かけた時(昭和41年夏?)のものだが、私より K の方が脚が長く背丈も勝っていたことが分かる。 ついでに、この時ぞと書いておくが、当時私の髪の毛はふさふさしていたのである。


忘れかけた(失礼)頃、思い出したように通信をくれることがあるが、メキシコへ行ってきたとか京都グランヴィアホテルに泊まっていたとか、名古屋の某大教授になっている旦那の学会出張にくっついて行ってるのかもしれない。

pict-食事-合成-完了
写真右端が姫路の財閥(?) T 。 隣は福井の I 。 彼は私の1年後輩、教育学の専攻であった。 そして今回私の唯一タバコ仲間であった。 その隣が三田市の Y 。  T と Y は私が国鉄を利用した時に交流があったくらいで学部も違っていたと・・・。 女性陣は右から K 、O、S、I 。 いずれも学生時代の呼び名で K と O についてpict-P1050766会食-2修整は先に触れた。


S と I は私より1年後輩で國文学の専攻だったと思うが、 I については学生時代の記憶は一切無い。 つまり言葉を交わしたことも無ければ彼女の姿そのものの記憶が全く無く、今回の集いで新しい縁を結んだということになる。

京都・宇治の H と程近い所に住まうそうだが、 Hにしても初めての出会いとなった。


写真上は I 。 下が S 。


 S は私と渡辺(故人)と山口が主宰していたサークルに属していたこともあって、彼女については比較的よく知っpict-P1050765会食-2修整ている。 その S と I は学生寮が同じで大変親しく、 S の子息が京都の下宿で急病に陥った時福井に住む S の電話依頼によって I が母親代わりに第一次的看病を行ったというのだから、この二人の親しさは推して知るべしだ。 そんな S と I なのに、その S をよく知る私が I を全く知らなかったというのも不思議だが、これも縁というものであろう。


写真は昭和42年(1967年)8月、青森県下北半島の観光経済的発展の可能性を考究するため10日間にわたpict-img182修整る半島全域実地調査を終え、調査本部むつ班、脇野沢班が大間班に集合し、第二大函丸で函館へワンデーツアーを実施した時のもの。


「どや、懐かしいやろ。」―――当ブログを見るって言ってたから昔の写真を1枚だけ。 シャルトル聖パウロ修道女会函館修道院門前での S である。  S の当時の実家は福井県丸岡町だったと思うが福井市内の浄土真宗寺院に嫁ぎ、内儀として坊守の務めを果たしているらしい。 

pict-会食合成22-1修整
上の写真は左から元劇団俳優の S 。 隣は教育学を専攻していた N 。

pict-P1050756 N修整N はジェンダー教育を研究している奥方とスウェーデン視察をして帰ってきたところだと言っていたが、彼自身も研究テーマにしているのかどうかは知らない。 ジェンダーフリーという言葉がきちんと定義されているのかどうか曖昧さを感じるし、運動体ごとに若干異なる解釈があったり、言葉だけが独り歩きしているような危なっかしさも感じている。 運動体が主張することの中には賛同できる面もないではないが、私の考えとは随分違うようで私自身学習意欲が湧かないので N ともこれを話題に話すことはなかった。


立ち姿で40数年の自らの道程を語るのは、すっかり説法口調が板についた湖東・浄土宗寺院の住職 F 。

 F の右手が台風のために台湾からの予定便が欠航となり、前夜遅く別便で帰国し休息もそこそこに集いに参集した H 。 

そして私を挟んで右端が N である。

pict-P1050760会食-2修整N はインテリア関係の事業を営んできたが、現在実質的には息子が経営しているらしい。 彼とはどういう訳か学生時代から親しくしてもらってきた。 人付き合いにおいてはなかなかの雅量の持ち主であり、私の我がままなど全く意に介さない性格ゆえのことだったのであろう。

 

雅量と言えば私の雅号である雅亮も共に読みは『がりょう』である。 これはツマランことだが、懐の深さ広さといった点では N の方が遥かに上手と思っていたのだ。 ところが何だか学生時代の研究会における怨念?を未だに持ち続けていることがあると聞き、 N の度量も大したことはなかったかと・・・ぶっはははは。


ともあれ今回の懐旧の集いを終えて古いアルバムを開いてみたが、やはり、むむむむむ。

pict-img183興正寺S43記憶にある像も結構鮮明だが写真というのはホンマ正直やと思うた。


覚えているかどうか、右端が N だ。 隣が K 。 そして私と左端が S である。

確か興正寺の境内だったと思うが・・・


40数年前、ぶっはははは、互いに若かったなあ。


琵琶湖・竹生島巡りについて、もう少し続きを書いてみよう。 懐旧の集い三連 その3 の Cに続く・・・ 







masatukamoto at 15:43│Comments(0)TrackBack(0)

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