February 22, 2013

みちのく行 (12) 松島 ② (ぶらり松島)

松島は何度も訪れた所なので大観荘をチェックアウトしたら仙台へ向かうつもりでいた。 
しかし、せっかく来たのだからと国道45号線から天麟院へ少し入った所にある駐車場(有料)に車をおいてブラブラ歩いて巡ることにした。

ついでに書けば、天麟院は伊達政宗と正室・愛姫の間に生まれた五郎八姫の菩提寺。 五郎八姫は松平忠輝(徳川家康の6男・越後高田藩主)の正室であったが、元和2年(1616年)に忠輝が改易されたことを機に離縁されpict-P1060265観覧亭仙台の政宗のもとに戻り、以後独り身で過ごした人である。

駐車場を出て国道45号線を渡れば凝灰岩質の高台に観瀾亭が建っている。
観瀾亭が建つ台地には写真のような五輪塔が彫られていたり、下の写真に見られるような洞穴が彫られたりもしていた。 五輪塔については供養の意味があるのだろうが、観瀾亭との関わりについては分からない。 また、洞穴の中は見えなかったので、これも何のために彫られたものなのかは分からなかった。
pict-P1060271観覧亭いつもなら疑問をそのまま捨て置くことはしないのだが、この時、この日は何故か・・・

観瀾亭は元々伏見桃山城にあった茶室を伊達政宗が譲り受けて江戸藩邸に移築、それを2代仙台藩主・伊達忠宗が現在の場所に移したもので、観月などのほか賓客の接待に使っていたのだとか。

観瀾亭が建つ台地も凝灰岩質の土地であるが、松島湾一帯の地質は礫岩、砂岩、シルト、凝灰岩などにより形成されており、長年にわたる水や風による侵食を受けて風化が進んでいる。
下は観瀾亭からの松島湾の眺望。
pict-松島観覧亭より合成1-完了
私は未だ大小合わせて二百数十あるという島々を一望したことはない。 観光船に乗って島々を縫うように観光してまわるのもひとつだが、私は点在する島々が遠く近くに重なり合いながら見せてくれる景色が好きである。

観瀾亭から僅かに歩けば五大堂に至る。
pict-P1060273五大堂五大堂は写真の通り小さな島の上に建てられており、本土側とは木製の赤い橋で結ばれている。
pict-P1060279五大堂(2)この五大堂は伊達政宗が紀州の名工・鶴衛門家次に命じて1604年に建立したものである。 桃山風の建築様式で国の重要文化財に指定されている。

もともとは大同2年(807年)に坂上田村麻呂が毘沙門堂を建てたことに始まり、その後、天長5年(828年)に慈覚大師(円仁)が松島寺を開山、五大明王を祀ったことによって五大堂と呼ばれるようpict-P1060275五大堂(2)になったのだとか。
また同年、淳和天皇の勅願寺として慈覚大師(円仁)が天台宗の延福寺を開山、この寺がやがて鎌倉時代に臨済宗・円福寺となるも後に廃れ、江戸時代pict-P1060272瑞巌寺に伊達政宗が復興させ、『松島青龍山瑞巌円福禅寺』とした。
これが現在の瑞巌寺である。
この時までは別寺であった五大堂が瑞巌寺の寺領に組み入れられた。

五大堂と瑞巌寺は国道45号線を挟んで向かい合う位置にある。
前方の杉の木立が茂る方向に桃山建築の粋を尽くした国宝である瑞巌寺の本堂や庫裏がある。
pict-円通院本堂
しかし、私たちが訪れた折には平成の大修理とやらで本堂、中門、御成門などの見学が出来なかったので圓通院を巡って帰ることにした。

圓通院は瑞巌寺の隣にあり、伊達政宗の孫で正保2年(1645年)に江戸で亡くなった光宗の廟所として正保4年に開山された。
pict-圓通寺修正雨上がりの境内が十分な湿気を含み、秋とは思えないほど明るい緑色の庭を楽しませてくれた。

本尊は『聖観世音菩薩坐像』。

やや駆け足ぎみの旅行のように感じられるかもしれないが、実はのんびりしたペースで歩き回ったのである。
さて、やはり仙台へ向かうことにしよう。



masatukamoto at 19:55│Comments(0)TrackBack(0)

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