June 24, 2013

自宅へ戻って 1 週間 (その 1 )

回復病棟に入院していた間、ひとつひとつを挙げればきりが無いほど看護師や看護助手、それに理学療法士たちのpict-20130622-6-1介助を頂いてきた。
それらの全てが、予想していたことではあるが自宅へ戻ってから家内の双肩に掛かることとなってしまった。
杖を使ってもいい、安定して歩くことができるなら。 そんな思いを持っていたのだが、退院時点で杖を 2 本用いても歩行は安定しているとは言い難く、自分でも倒れはしないかという恐怖感を抱きながら家の中をこわごわ移動しているのが現状である。

『 住めば都 』 との譬えがあるが、病院のような所であっても6ヶ月も暮らしていたら最早都 ( 我が家 ) も同然。 退院して数日の間は我が家が旅籠のように思えて落ち着かなかった。
それでも病院の沢山の方たちに見送って頂き、我が家へ帰り着いた時には 「 帰ってこれたんや 」 という思いが胸の奥底に湧き、それがじわじわっと胸いっぱいに広がっていくのを感じていた。
pict-20130617夕飯-1
上の写真は、家内が退院を祝って用意してくれた夕食である。
イカとキュウリとトマトのサラダ、本マグロの天身とタイの背身のお造り、ワカメとエノキダケの吸い物、それに豆ご飯である。 写真は無いがデザートはイチゴにサクランボ。

感じ方や受け止め様は百人百様と言う。
私のイメージする祝い膳とは異なるが、家内が私の好みのものを揃えて心こめて用意してくれたお膳であり、「 おかえpict-20130622-3 - コピー-1り 」 と声を掛けられた時には我が家に戻ったという実感を一層強くしたものだった。

豆ご飯については病院の給食でも書いたが、私の好みのご飯である。
ふつう春から夏にかけて収穫されるエンドウ豆を用いた豆ご飯を指すが、エンドウ豆を剥き、豆だけにしてグリンピースとして売っている冷凍食品でも豆ご飯は炊けるので、今や豆ご飯でも『 時 』 『 旬 』 が無くなったと言えるかもしれない。
家内が炊いた豆ご飯は枝豆を用いていた。
枝豆を緑色の状態でなく茶色になってから収穫・乾燥させたものが大豆 ( ダイズ ) であり、豆腐や納豆、味噌や醤油の原料である。

私の大好物だが、自宅に戻ったからといってもご飯が 2 膳に増えたということはない。
病気が治り、血液検査の結果も優秀で、しかもせっかく痩せたのだから現状を維持するようにと。 そのため病院での摂食カロリーと同等程度を維持するためご飯の量も軽く 1 膳にというのが家内の指示。

今は不承知ながら反発も反抗も出来ず・・・・・
まあ、そのうちには。







masatukamoto at 12:53│Comments(0)TrackBack(0)

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