June 24, 2013

自宅へ戻って 1 週間 (その 2 つらつら思う )

私の退院の日が休日や宿直明けに当たっていた看護師や看護助手、理学療法士の方たちには事前に挨拶したはずなのだが・・・・・
挨拶に漏れはなかったろうか、私の退院を見送るためエレベーターの前に集まって下さった沢山の人たちの顔を確かめながら失礼が無かったろうかと・・・・・・そう、『 飛ぶ鳥跡を濁さず 』との俚諺もある。
集まって下さった一人一人と関わった様々なことが思い出される。
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回復病棟で世話になったは 4 ヶ月の間だが、3 分の 1 年、これはやはり長い。 だが、通常に生活していたならば見ることも知ることもなかったであろう病院の内実や看護の実態という思わぬ勉強をさせて頂くことが出来た。 これは私の探求心をそこそこ満たしてくれたし、知り得たことから更に派生する問題について考えさせてもくれた。

近畿大学医学部奈良病院に入院してからだと実に半年間にわたって看護の実態を学び、しかも沢山の人と知り合うというご縁を得たのである。

これまでも私は『 縁 ( えにし) 』というものを大切にしてきた。
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振り返りみれば、私が腹部に激痛を覚えて訪ねた 2 病院の 3 人の医師までが病因を特定できず、とりわけ足が痺れて歩行が困難になっているという新たな症状を告げたにも拘らず、この症状に着目しなかった ( 出来なかった ) 医師がいたという事実。 その医師が勤務する県立という紛うなき公けの病院が私の救急入院要請を拒絶してくれた。 このお蔭で近大奈良病院の救命救急室を内側から見ることが出来たし、更に脳神経外科病棟から阪奈中央病院の同外科病棟、そして回復病棟に於いてより病院の内実や看護の実態を目にすることが出来た。
しかも、その都度新しい人たちと『 縁 』を結ぶことが出来た。

下半身麻痺という大変な引き換え条件を出すこととなったが、多くの人たちと『 縁 』を結ぶことが出来たということは私にとっては大変な財産となるものだった。
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いささか宗教的になるが、結ぼうとしても結べないのが『 縁 』であり、切ろうとしても切れないのが『 縁 』である。
私は目に見えない力の働きというか人智の及ばぬ作用や結果など、前に書いた不思議で『訳のワカランこと』のひとつの面が『 縁 』だと思っているのだ。

退院にあたって寄せ書きを頂いた。
退院を祝っての言葉。早い回復を祈念する言葉。また会いましょうとの言葉。感謝の言葉などなど。

いろいろ学び教えられたのは私の方で、感謝の言葉は私の方が語らねばならないこと。 勿論また会いたい、けれど私が患者の立場では・・・・・、これは良くないので何とか早く回復して病棟へ遊びに行けるようにならねば。
頂いた寄せ書きの一人一人に返事をしないまま退院してしまったことは心残りなことである。




masatukamoto at 17:17│Comments(0)TrackBack(0)

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