October 20, 2013

『 私の贅沢 』 第 2 弾

10月3日付けのブログ『 私の贅沢 』で『HAYDN EDITION』を買って早朝の私だけの私のためのコンサートを開いて楽しんでいることが私の贅沢であることを書いた。
そして、美味しいものを食べに出かけることもお酒を飲みに出かけることも出来ず、家でクスぶっている今の私にとって、C D 全集の価格は高いけれど、これを購入することも含めて 『 私の贅沢 』 であり、この機会に買ってやろう 『 まだまだ、あるある 』 と書いた。
BACH-3-1
表題に第 2 弾と書いたが実際には・・・・・ぶっはははは。 
第 5 弾目か、はたまた第 10 弾目になるのか、それは秘密ということにしておこう。
写真は ヨハン・セバスチャン・バッハ ( J. S. BACH ) の全集である。
 ( Die kompletten Werke von Johann Sebastian BACH )  C D が 172 枚だから、それなりの価格はする。
BACH-7-1が、まあ良いではないか。

バッハの作品について、ブランデンブルク協奏曲 ( Brandenburg
concertos 《BWV1046~1051》) のほか、
マタイ受難曲 ( St Matthew Passion 《BWV244》)、
ミサ曲ロ短調 ( The Mass in B minor 《BWV232》) などのレコードを持ってはいた。

しかし、バッハと言えばオルガンをはじめチェンバロやクラヴィコードなどの鍵盤楽器のための曲のほか、教会で歌われるカンタータも数多く作曲しているが、それらの全てなど勿論聴いたことがない。
と言うか、カンタータ全曲を網羅するようなレコードが発売されていたのかどうかpict-Helmuth Rilling-1-1私は知らないし、仮に発売されていたとしても小遣いの少なかった頃、好んで聴きたいと思わない曲まで抱き合わせで含んだレコードなど買わなかったことと思う。

冷夏で大凶作となった 1993 年、コメ販売業者 ( 卸売も小売も ) が米の販売価格を上げるだけでなく、品薄を理由にタイ政府が緊急輸出してくれた備蓄米を抱き合わせで買うことを条件として私たちに売りつけたことがあった。 コメは主食でありツマランことだと思いつつも業者が言うままの条件で米を買わざるを得なかった。
これは止むを得ないことだったが、特別に聴きたいと思いもしない曲を含んだレコードを買うのとは明らかに違う。
Weihnachtsoratorium Helmuth Rilling in Krakow-9
誤解が無いように書き加えておくが、タイ米は日本で作っている 『 うるち米 』 とは形が異なり、少し細長い 『 インディカ米 』 という種類だが決して不味い米ではない。 国産の有名銘柄米も備蓄米として保存期間が長くなれば味わいは落ちるもので 『 インディカ米 』 とて同じこと。
Weihnachtsoratorium Helmuth Rilling in Krakow-6私は 『 タイ米=インディカ米 』 が嫌いではない。 タイ現地でも日本にあるタイ ・ レストランでもカオパット ( 焼き飯 ) や、カオニャオ ( モチ米を蒸した飯 ) などを好んで食べる。

話が反れたが 『 音楽の父 』 として音楽史の年表に載っていたり、音楽室の壁に貼られているバッハの肖像は上の CD
BOX の写真と同じものばかりのように思う。
バッハが生まれたのは 1685 年だから、まだ写真撮影が技術的に開発されていなかったのだから仕方がない。 
彼が神聖ローマ帝国のザクセン=ヴァイマル公国の宮廷音楽家として音楽家の道を歩みだしたのが 1703 年。 そして西洋音楽の礎を築いて世を去ったのが  1750 年、バッハ 65 歳であった。
pict-クリスマス・オラトリオ-1
バッハが生まれ、彼が音楽家としての活動を行っていた時代を日本史上に置き換えてみれば江戸時代の前期にあたり、我が国では農業生産力が増大して経済力が安定し、町人文化に格段の発展が見られた元禄時期に相当する。
この元禄時期というのは徳川幕府による鎖国政策が浸透していた時期ゆえに西洋音楽が長崎に入っWeihnachtsoratorium Helmuth Rilling in Krakow-10ても伝播することは無かったであろう。
日本音楽史など紐解いたことがないので確かなことは分からないが、受験用の日本史理解のレベルで言えば近松門左衛門の作品と共に竹本義太夫らによる浄瑠璃が広まり、三味線や琴など、いわゆる邦楽と呼ばれる声楽や器楽が発展した時期と理解している。

『 所変われば品変わる 』 と言うが、同じ 18 世紀の地球上において、ヨーロッパと日本と東西に大きく分かれた別々の土地で音楽はそれぞれ独Weihnachtsoratorium Helmuth Rilling in Krakow-4自の道を歩んできた。
それがやがて明治 5 年の学制において西洋音楽の導入が始まることになるのである。 
もっとも実際に西洋音楽が学校教育に取り入れられのは音楽取調掛が設けられた明治 12 年 ( 1879年 ) 以降のことになるが、西欧文化重視、日本文化軽視の時代風潮の世の中にあって、バッハの教会音楽がどのよlecture Helmuth Rillingうに日本社会へ入って来たのか、これは大いに興味のあるところだ。

ところでこのバッハ全集、全てヘルムート・リリング ( Helmuth Rilling ) の指揮によるものである。
バッハの合唱曲を全曲録音した初の人で、バッハの専門家として超一流の音楽家である。

早朝コンサートはバッハの教会カンタータになっているが、いつまで続くのか期間を定めるのが難しい。 と、それほど CD 枚数が多いということもあり、時々他の作曲家の作品に変えつつ聴いていこうと思っている。




masatukamoto at 11:29│Comments(0)TrackBack(0)

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